昭和64年は平成元年に置き換えられない
――『64』は元刑事の三上が広報官として立つ、ということのほかに、7日間しかなかった昭和64年に起きた誘拐殺人事件を追うという軸もあります。なぜ昭和64年に着目されたのですか。
横山 昭和64年が平成に変わったのは私の新聞記者時代の最後の頃でした。「今日から平成」と言われてなんだか理不尽に感じたんです。たった7日間とはいえ、そこには昭和64年の人の営みがあったわけですよね。地方紙ですから日々、お悔やみ欄や赤ちゃん誕生のコーナーに県民の名前が載ります。昭和64年1月3日生まれとか。昭和64年1月5日に病没とか、家族や遺族にとっては平成元年には置き換えられないだろうなと思ったのがひとつ。
もうひとつは、私自身の昭和への愛着ですかね。高度成長期やバブル崩壊など、昭和という時代を確かに生きてきた実感がある。一方で平成という時代は皮膚感覚が希薄で馴染めない。どう付き合っていったらよいのか、いまだに考えあぐねているようなところがあります。そんな昭和ズブズブの人間として昭和最後の年をズバリ数字で残したかったんですね、きっと。『64』の中では平成の現象をビッグバンだと書いていますが、私はただ定点観測するのみで頭も気持ちもついていっていません。
――その時に感じる昭和と平成の違いは何ですか。
横山 やはりソーシャルネットワークの発達が一番大きいですよね。手塚治虫の『ロック冒険記』ではないですが、ある日突然もう一つの地球が出現してしまったな、というのが率直な感想です。「匿名の地球」は言いすぎでしょうか。実社会では実名の自分がいて、SNSなどでは匿名の自分がいる。子ども時代にもう、この先自分は実名で生きていくのか匿名で生きていくのか、内的には決断を迫られる一瞬があるような気がします。実際には二つの地球を自由に行き来している人が多くて驚きますが、私は書くのも考えるのも遅いので、この平成ビッグバン以後の世界を作品化するにはかなりの時間がかかると思いますね。
――横山さんはずっと群馬にお住まいですが、出身は東京ですよね。
横山 文京区です。小さい頃からプラ模型づくりと天体観測に夢中でしたが、本もよく読みました。というか本の虫でしたね。学校の図書室に寄らない日はなかったし、祖父が神田神保町に住んでいたので、よく三省堂書店に寄ってアーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』なんかを立ち読みしていました。家には児童文学の全集があって、それでガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』を読んだらもう、恐ろしくて恐ろしくて。シャーロック・ホームズもそうですが昔のミステリーって陰影をともなっていて怖いものが多いんですよね。天文ファンでしたから、SFも大好きでしたよ。H・G・ウェルズとジュール・ヴェルヌは全部読んだかな。ジョージ・ガモフの『ガモフ全集』(白揚社)の第1巻、相対性理論を子ども向けに説明した『不思議の国のトムキンス』がすごく面白かったのだけど、理解できませんでした。理解できていたら天文学の道に進んだかもしれないのに(笑)。
――小説家になりたいとは思わなかったのですか。小学生の頃に『宝島』を読んで、その続編を書いたんですよね。
横山 考えたこともなかったけど、でも『フランダースの犬』の続編も書きましたよ。ラストでネロとパトラッシュが死んでしまうのがどうしても許せなくて。さっき話した神田の祖父が世相を風刺するような絵日記を何十年も書いていて、感化されたんでしょうね、私も中高生の頃にノートに絵を描いて、詩や川柳もどきの一文を添えたりしてましたっけ。読むほうは、小学校の高学年には父の蔵書にこっそり手を出していましたね。刑法入門や商法入門、ミステリー入門とか、ビジネス書っぽいものから世界文学全集まで難しい漢字は飛ばして。中学に上がると部活とバイトが忙しく、高校ではそれに加えてちょっと横道にそれたりもしたのでぱたりと本を読まなくなりました。でもバイト代が入った時とか、たまにぐわっと読書熱が高まって古本屋でごっそり買い込んで。もう乱読というか、海外のミステリーから清張さん、天文の本、ホロコースト、731部隊。いっとき立原正秋とか中原中也にハマったことがありましたけど、そもそも誰が書いたのかにあまり興味がなくて(笑)、だからいつも本についてのインタビューを受けると、系統だって本を読んだことがないので、と答えています。あ、今思い出しましたけど、父が持ってた山岡荘八の『徳川家康』や吉川英治の『三国志』も読破したなあ。それとそう、手塚治虫の作品はほとんど読んだのではないかと。