4、製作陣も抱えた『ホーム・アローン』と「ハリウッド業界の光と影」
『ホーム・アローン』の1&2が残したハリウッド業界の光と影、という点では、主演のマコーレー・カルキンばかりが注目される。しかし、もうひとり本作の成功のおかげで、皮肉な運命をたどってしまった人がいるのだ。脚本とプロデュースを担当したジョン・ヒューズ(1950年生まれ)である。
1980年代、ジョン・ヒューズはモリー・リングウォルド主演の『すてきな片想い』で監督デビューして以来、10代の若者の心情を鮮やかに映した学園映画のきらめくマスターピースを次々と放ち続けた。
『ブレックファスト・クラブ』、『ときめきサイエンス』、『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』、『フェリスはある朝突然に』、『恋しくて』……。まだスクールカーストなんて言葉もなかった頃から、青春や思春期のリアルな葛藤を美しく切ないドラマへと昇華していった。
今ではティーンムービーにおいて、どの作品もクラシック扱いであり、ヒューズはこの分野の「神」として絶大な影響力を誇っている。ただしリアルタイムでは、10代向けの映画ばかり作っていると単純に見なされることが多く、まだ正当に評価されていたとは言い難かった。
そんなヒューズが手掛けた作品の中で、最も商業的に成功したのが1990年の『ホーム・アローン』である。
このメガヒットを受けて、1992年に『ホーム・アローン2』、1997年にはアレックス・D・リンツ主演で『ホーム・アローン3』を製作。他にも1993年の『わんぱくデニス』や1994年の『赤ちゃんのおでかけ』などを手掛け、すっかり「ファミリー映画の人」になってしまうのだが、結局は『ホーム・アローン』という巨大な成功が呪縛となり、そのキャリアは次第に精彩が失せていく。いつしかヒューズは表舞台から退き、2009年に59歳の若さで亡くなった。
主演に脚本…色々な人の人生を変えた『ホーム・アローン』で目に見えて“飛躍”を果たしたのは…
一方で『ホーム・アローン』をきっかけに、さらなる飛躍を果たした人もいる。それが監督のクリス・コロンバス(1958年生まれ)だ。
彼はキャリアの初期、スティーヴン・スピルバーグ監督の会社「アンブリン・エンターテインメント」に所属し、『グレムリン』や『グーニーズ』などの脚本を手掛けていた才人。監督としては『ホーム・アローン』が本格的なブレイクポイントとなり、続編『ホーム・アローン2』も含め、その後も順調に成果を重ねる。
やがて21世紀に入り、『ハリー・ポッター』シリーズの最初の2作(『ハリー・ポッターと賢者の石』と『ハリー・ポッターと秘密の部屋』)を監督するなど、ファミリー映画の名職人として確かな地位を築くことになった。
『ホーム・アローン』並びに『ホーム・アローン2』の裏側には、なかなかに濃厚な人間交差点があったわけだ。こういった事情も心の片隅に留めておきつつ、改めて映画本編を楽しんでいただければ幸いである。