医者と准看護婦。病院というヒエラルキーの中で、その2つにはどれほどの開きがあるのか。20歳になるかならないかの準看にとって、自分の結婚相手は単なる男ではなく「先生」だった。ただ、結婚してからもその関係性が単なる男と女に戻ることは、ついぞなかったのではないか……。僕は会ったことはないけれど、夫の側にもその原因があったのではないかと思いました。
たとえば、ベッドではほとんどしないというセックス。舞は事前面接のとき「いつも犯されてるみたいで、愛されてる感じがしない」と言っていました。夫は一方的で、SM的で、自分を上に置き、相手をモノ扱いしています。そこには相手をいたわる気持ちがまったく感じられません。
医者になる人が全員そうではないけれど、彼の場合は幼い頃から親に厳しく育てられ、甘えたいときに甘えられなかったのかもしれません。医者になってからは、自分の人間性よりも医者という地位や肩書きが拠りどころになっていたのではないでしょうか。
彼女にとってAVは「存在価値を証明してくれる場」だった
誰かに「認められたい」と渇望するのが人間です。AVの撮影現場で舞が見つけたという「自分の居場所」。AVは女性が主役であり、撮影の合間合間に助監督はバスローブを掛けてくれるし、メイクさんは化粧直しにやってきます。
作品づくりのためとはいえ、悪い気はしない。学生時代も社会に出てからも、自分1人がいなくても学校や会社がなくならないのはわかっているから、自分がいなければ成り立たない世界とは、まさに存在価値を証明してくれる場と言えるでしょう。
舞に離婚の決意を尋ねたとき、「家庭でダンナさんが私のことを必要としてるよりも、私をもっと必要としてる所があるんだっていうのを、最近じわじわ自覚しはじめて……」と答えています。その「ダンナさん」は、もともと病院の中に自分の居場所があったはずです。そして病院内での立場を、そのまま家庭に持ち込んだ。
男も女も“本当の自分”を出さないと、いつか別れがやってきます。あばたもえくぼではないけれど、恋愛に勘違いはつきもの。加えて、交際中は自分をよく見せたいという思いもいっそう強いはずです。けれども、虚像と結婚生活を送っていても、心はいつまでも満たされることがありません。
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