『刑務所の読書クラブ:教授が囚人たちと10の古典文学を読んだら』(ミキータ・ブロットマン 著/川添節子 翻訳)

 本書は、四十代の女性教授が男子刑務所に通い、殺人や強盗を犯した囚人たちと重ねた読書会の記録である。このシチュエーションだけで想像が掻き立てられるが、期待を裏切らない面白さだ。まず課題図書のセレクトが度肝を抜く。コンラッドの『闇の奥』で始まり、シェイクスピアの『マクベス』にメルヴィルの『バートルビー』と、オックスフォード大英文科の学生でも苦戦する難解な古典文学がずらりと並ぶ。囚人たちは朗読もおぼつかず、「バートルビー」という主人公の名前はまともに発音すらできない。終身刑の囚人たちのひとときの慰めにとか、低学歴の彼らにふさわしいレベルの本をといった配慮はみじんもないが、それこそが著者の文学と囚人双方に対する深い敬意と信頼、そして愛情のあかしだ。実際彼らは文句を垂れつつ驚くほど鋭い考察をみせる。私自身も学生時代から大学で教える現在まで、これらの作品を繰り返し読んでいるが、彼らならではの視点に唸らされることが何度もあった。

 とはいえ、ここに登場する文学作品をまったく読んでいなくても本書は問題なく楽しめる。囚人たちは小説を通して自分の人生や価値観を語る。それぞれの生い立ちや罪状、刑務所内の生活といった彼らの色鮮やかな物語が本書のもうひとつの読みどころで、そこから刑務所や犯罪者に対する私たちの思い込みが次々に明らかになるところはひどくスリリングだ。例えば「バートルビー」は、「しないほうが好ましいのですが」という一言を繰り返してレンガ壁に覆われた狭い部屋から頑として動かず、はては獄中で餓死してしまう男の物語で、これを監房に閉じ込められている人に読ませる著者にも驚くが、囚人たちがみせる意外な反応には深く考えさせられた。

 著者は文学も囚人たちのことも美化しない。彼らは居眠りしたり性的なまなざしを向けてきたり、彼女の想いは実際には幻滅に終わることのほうが多い。心酔する作品の良さをまったく理解されないショックや落胆は、私にも痛いほどわかる。文学が何の役に立つのか? 文学を読むことなどただの現実逃避で時間の無駄ではないか? 文学に心血を注ぐ人生とは、そうした徒労と戸惑いの連続だ。

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 だが著者と囚人たちの交流には、文学を介したからこそ生まれた「それでも」と思える瞬間がいくつもある。自分とはまるでかけ離れた場所にいる他者とのわかりあえなさに垣間見える「それでも」という可能性。それこそ、私たちの人生を美化することなく励ますものではないだろうか。

ミキータ・ブロットマン/文学研究者、作家、精神分析学者。イギリスの工業都市シェフィールド生まれ。オックスフォード大学を卒業。アメリカの美大であるメリーランド・インスティチュート・カレッジ・オブ・アート人文学科教授。

おざわえいみ/1977年生まれ。東京学芸大学准教授。訳書に『地図になかった世界』など。その他、寄稿、共編著多数。

刑務所の読書クラブ:教授が囚人たちと10の古典文学を読んだら

ミキータ・ブロットマン(著),川添節子(翻訳)

原書房
2017年12月18日 発売

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