近代の観光と近代以前の「旅」を区別するものとは?
それでは、近代の観光が、それら観光ではない近代以前の旅から区別される特徴はなんだろうか?
アーリとラースンは、それが大衆性だと指摘している[★6]。その大衆性は、産業革命と不可分に結びついている。彼らによれば、ローマにもヴェネチアにも、近代観光に通じるさまざまな制度があった。
ローマ帝国には旅行関連の施設があったし、ヴェネチアではパレスチナへの定期的なツアーが組まれていた。しかしローマ人やヴェネチア人の旅はあくまでも一部の富裕層のものだった。他方で近代に現れた観光はけっして一部の富裕層のものではない(さきほど挙げた統計の10億という数字が、その大衆性をなによりも証拠だてている)。両者はその点で区別される。
観光が観光になるためには、産業革命が進み、労働者階級が力をもち、彼らの生活様式が余暇を含むものに大きく変わらなければならなかった。言い換えれば、大衆社会と消費社会が生まれなければならなかった。
大衆社会と消費社会というこの言葉は、一般には20世紀の社会を指すために使われるが、その萌芽は19世紀半ばに現れている。その萌芽から観光が生まれる。アーリとラースンはつぎのように述べている。「19世紀の都市の経済的、人口的、空間的変容のもたらした効果の一つは自己の振舞いを自分たちで律する労働者階級の共同体を生んだことである。この共同体は彼らをとりまく社会の新旧いずれの制度からも比較的自立的だったのだ。この様な共同体は労働者階級の余暇の形態を作り上げるのに意味があった」[★7]。その新たな余暇から、新たな産業、すなわち観光が生まれたのである。
アーリとラースンは、その歩みを具体的には、1840年代に始まった、イングランドでの海浜リゾートの開発に見ている。19世紀には労働者による海水浴が流行し、海岸の寒村が急激に都市化する現象が見られた(ブライトンなど)。それはまた、貴族たちに独占されていた18世紀的な湯治の代替物でもあった。当時の海水浴は、純粋な娯楽ではなく、むしろ湯治に近いものだと考えられていた。
21世紀のいま、観光は多様化し、大衆観光以外にさまざまな形態が現れている。たとえば、エコツーリズムやスタディツアーなどと呼ばれるものが一例である。それゆえかえって見えにくくなっているが、じつは大衆観光こそが、観光の本来のすがたなのだ。
★1 岡本伸之編『観光学入門』、有斐閣アルマ、2001年、2頁。
★2 佐竹真一「ツーリズムと観光の定義」、『大阪観光大学紀要』開学10周年記念号、2010年による日本語訳。表記一部変更。
URL=http://library.tourism.ac.jp/no.10SinichiSatake.pdf
★3 Oxford English Dictionary. URL=http://www.oed.com
★4 グランドツアーについて詳しくは、岡田温司『グランドツアー』、岩波新書、2010年が参考になる。
★5 ジョン・アーリ、ヨーナス・ラースン『観光のまなざし』増補改訂版、加太宏邦訳、法政大学出版局、2014年、8頁。なおこの「増補改訂版」は、原書では本文でのち触れる「第三版」に相当している。
★6「この大衆的観光のまなざしは北イングランドの工業地帯の裏町に萌したのだ。本章は、工業都市の労働者階級が、生活圏から離れてひと時をよそへ行ってみようと考えたということが、なぜ当時の社会状況と合致した行為となったのか、そのことに焦点をあててみたい。観光のまなざしは、なぜイングランド北部の労働者階級から起こってきたのか。[……]この観光の発展は旅行の、ある意味「民主化」を表している」。『観光のまなざし』、46頁。
★7『観光のまなざし』、51-52頁。