本書の帯には、「問うべきは、なぜ滅びたかではなく、なぜ存続できたかである」と書かれている。まさに正鵠を射た言葉である。
本書は、古代ローマ帝国の衣鉢を継ぎ十五世紀まで千年以上にわたって連綿と続いた東ローマ(ビザンツ)帝国の歴史を十章に分けて、それぞれの時代を代表する皇帝を中心に紀伝体風に述べたものである。
滅亡の約百年後、帝都コンスタンティノープルを訪れたフランス人の話から著者は筆を起こす。
第一章は、当然、コンスタンティヌスである。同時代人のゾシモスは、伝統的な神々への信仰を捨てた(神々の黄昏)が故に西方属州が失われたと皇帝を非難する。
第二章は、ユスティニアヌス一世。西方属州の一部は回復されたが、膨大な生命と資金が費やされた。その結果、帝国は大洪水に見舞われる。
第三章は、大洪水。ペルシアはヘラクレイオスが凌いだものの、アラブ人の攻勢は凌げなかった。
第四章は、七世紀から八世紀初めの絶望的な時代。この時期に軍管区(テマ)が作られ、やがて、名君コンスタンティノス五世が現れ、中央軍団(タグマタ)を創設して帝国の危機を救う。しかし、聖像(イコン)崇拝を禁じたが故にキリスト教徒は彼を悪し様に罵った。
第五章は、九世紀のロシア人の登場。総主教フォティオスは副皇帝バルダスと図って、布教や接待外交でロシアやブルガリアを文化的に征服する。交易に伴う潤沢な資金がそれを可能にした。
第六章は、アッバース朝の衰退と軍事貴族の誕生。国境地帯の小アジアに広い土地を有しアラブ人に略奪攻撃を行う有力家門が誕生し、彼らが帝位を左右する。彼らはフォティオスやバルダスとは異なり侵略戦争を望んでいた。
第七章は、マケドニア朝のバシレイオス二世。彼は帝国の盛期を開いた陰鬱な独裁者であって、「ブルガリア人殺し」として有名だ。
第八章は、十字軍。第一回の軍が帝都を通過したのはアレクシオス一世の時代。約半世紀前に東西の教会は相互破門していたので、続くヨハネス二世などコムネノス朝の皇帝は、ラテン人(西方)との関係に忙殺される。
第九章は、第四回十字軍によるコンスタンティノープル征服とラテン帝国成立。ビザンツ帝国は、ニカイアを拠点に半世紀後に帝都を奪回するが、ラテン人への対抗上自らをヘレネスと自称するなど偏狭なビザンツ人意識が生まれた。回復した帝国も小さな民族国家と化した。
第十章は、帝国の滅亡。マヌエル二世などパライオロゴス朝の皇帝の奮闘も空しく、一四五三年にオスマン朝に滅ぼされる。
ビザンツ帝国は豊かで潤沢な資金に恵まれていた。コンスタンティノープルが東西交易の拠点に位置していたからだ。しかし、それは同時に数多の民族が押し寄せるという不安定性や脆弱性をも意味した。そのため帝国は、絶えず国境に押し寄せる人の波を自らの利益に変えようと努力した。そして「周囲はすべて敵」と考える偏狭な軍国主義国家にはならずに存続したのである。
著者は「ビザンツ帝国の最大の遺産は、もっとも厳しい逆境にあっても、他者をなじませ統合する能力にこそ、社会の強さがあるという教訓である」と結ぶ。まったくその通りであろう。巻頭の写真や本文に鏤められた多くのエピソードが彩を添える。読み物としても、面白く、ビザンツ好きには堪らない一冊だ。