「僕にはもう時間が無いんです」と本田雄に語った宮崎駿の言葉は、決して脅しでもハッタリでもなかっただろう(同前)。高畑勲は2018年に死んだ。東映時代からの盟友、大塚康生は2021年に死んだ。ジブリの次代を担うと期待された近藤喜文は1998年に死んだ。ジブリの自然描写を支えた天才アニメーター二木真希子、色彩設計として絶大な信頼を受けた保田道世はともに2016年に死んだ。
そしてこの記事を書いている最中にも、『天空の城ラピュタ』や『火垂るの墓』の美術を支えた山本二三の衝撃的な訃報が飛び込んできた。宮崎アニメを支え、世界の秘密を分かち合ったスタッフたちは、1人また1人と世を去り続けている。
宮崎駿に影響を受けたクリエイターたち
《私は人間が作った芸術を消費し、愛しています。私は機械やテクノロジーによって作られたイラストレーションには興味がありません。人間の感情や表情をテクノロジーで再現しようというような会話が映画について交わされたとしたら、私は深く傷つき、宮崎駿監督が言うように、『生命に対する侮辱』だと思います》(Guillermo del Toro Says Animated Films Deserve a Shot At Best Picture: “The Craft Is Incredibly Complex”「DECIDER」2022年12月9日)
台頭する生成AI画像テクノロジーについて、宮崎駿の言葉を引用して違和感を表明したのは、アカデミー賞監督であるギレルモ・デル・トロだ。彼が引用するのは、2016年にNHKで放送されたドキュメンタリーの中で宮崎駿が発した言葉だ。CGで作られた人間が、芋虫のように地面を這い回る不気味な映像を作り、面白そうにジブリスタッフたちに見せる若いカリスマ経営者に対して、宮崎駿は不快感を隠さなかった。
ハリウッドで活動するギレルモ・デル・トロ監督が、日本のドキュメンタリーをどこで知り、宮崎駿の言葉に触れたのかは分からない。だが今、テクノロジーと合理主義のハリウッドにおいても、脚本家やクリエイターたちがAIと人間の権利をめぐってストライキに突入している。それは宮崎駿と高畑勲が出会った、東映動画での激しい労働争議を思い出させる。直接に机を並べた日本の同世代たちが世を去っても、地球のあちこちで宮崎駿の作品に触れた次の世代のクリエイターたち、世界の秘密に人間の手で触れようとする作家たちは生まれ続けるだろう。
宮崎駿の現在とこれから
今作について、『風立ちぬ』までは行われていたインタビューや記者会見は現在のところない。ほとんどの国民は宮崎駿の肉声や映像にすら触れていない。今の宮崎駿の状態を知る者は、本田雄ら机を並べたアニメーターたち、そして木村拓哉や米津玄師、あいみょんといった、数少ない出演者、スタッフたちのみだ。
宮崎駿はかつてインタビューの中で、現代日本のサブカルチャーや芸能界に対して嫌悪感を隠さなかった。時にそれは彼の作品世界と対極にある「汚れた現代」そのものに見えたのかもしれない。
だが、宮崎駿の映像やインタビューのない今作で彼の現在を伝えるのは、木村拓哉に「父のことを思い出しました」と声をかけ、試写に不安を覚えたあいみょんを「すごくいい声でしたよ」と励まし、米津玄師の前で「子どもたちに、この世は生きるに値するということを映画を通して伝え続けていきたい」と語りながら感極まって涙ぐんだという、子や孫のような世代の若者たちの前で心の鎧を外したような宮崎駿の姿だ(「SWITCH」2023年9月号)。戦前と戦後の価値観に揺れた宮崎駿は、現代と和解することが出来たのだろうか。
人生のほとんどを作品に捧げた宮崎駿にさらにもう一作を望むことは、あるいは観客の傲慢かもしれない。だがどちらにせよ、ルネサンス期としては異例な長命であった88歳のミケランジェロ以上に、ゆるやかで豊かな時間が彼に与えられていることを祈りたい。「創造的人生の持ち時間は10年だ」「宮崎家に80歳の壁を超えた人はいない」。自らにかけた呪いのような言葉さえも越えて、作り続け、変化し続ける天才は今、82歳である。