一方、楽天モバイルの完全仮想化ネットワークはクライアント・サーバ・システムと同じ分散型だ。携帯電話会社は好きなメーカーの安い汎用サーバを自由に組み合わせてネットワークを構築することができる。業界用語でこれを「Open RAN(オープン・ラン=機器の組み合わせが自由な無線アクセス・ネットワーク)」と呼ぶ。
設備投資は既存の通信ネットワークに比べ30%安くなり、運用・管理コストは40%安くなる。楽天は「楽天シンフォニー」という会社を作り、この技術をパッケージにして海外の通信会社に売り込んでいる。
追い風
場面をバルセロナのMWCに戻そう。トイレに着くと三木谷は用を足しながらこう呟いた。
「去年まで(の商談相手)は、お手並み拝見という感じだったけど、今年は本気で導入を考えている。真剣さが違う」
装置産業である携帯電話事業は設備に莫大なカネがかかる。日本の通信大手で言えば、年間のインフラ投資は5000億円近い。それが3割安ければ3500億円で済む。
ワープロと同じように携帯電話ネットワークもハードからソフトに置き換わる。それは通信業界共通の認識だった。しかし、ランダムに移動する何千万台もの端末を捕まえる携帯ネットワークの仮想化は物理的には凄まじくむずかしい。通信大手のほとんどがこの技術に取り組んでいたが、「実用化するのはまだ数年は先のこと」だと考えていた。
ところが門外漢の楽天が世界で初めてこれに挑戦した。2020年春にサービスを本格的に開始したとき、世界の通信会社は「絶対失敗する」とたかを括っていた。だが、小さな事故はいくつか起きたものの、ネットワーク全体が何日にもわたって止まるような大きな事故はこれまでのところ起きていない。日本ではすでに500万人近い利用者が、毎日、ふつうに楽天モバイルを使っている。
「どうやらできちゃったみたいだぞ、って感じでしょ」
用を足し終えた三木谷は満足げに言った。
「米中摩擦」の追い風
楽天モバイルにはもうひとつの追い風が吹いている。「米中摩擦」だ。
中国の台頭に神経を尖らせる米国は、中国の通信大手、ファーウェイを自国市場から締め出した。そこへロシアのウクライナ侵攻が重なる。
「次は中国による台湾侵攻か」と誰もが懸念せざるを得ない状況で、安全保障の要となる通信インフラで中国企業への依存を減らしたいという思惑が各国に働いている。いわゆる「チャイナ・フリー」だ。かといって価格の安いファーウェイから欧米の老舗メーカーに戻せば設備投資のコストが跳ね上がる。そこに登場したのが、安くて、地政学的に安全な日本の楽天モバイルが開発した「完全仮想化」だ。「試してみたい」と考えている国や地域は少なくない。
世界の通信大手が「完全仮想化」「Open RAN」に乗り換えた場合、その市場規模は15兆~20兆円とされる。もちろん楽天シンフォニーがそのすべてを手に入れるわけではないが、世界で最初の完全仮想化を成し遂げたアドバンテージは間違いなく存在する。