1ページ目から読む
4/4ページ目

当時を知る人はもういなくなってしまった

 実際に大渡隧道を施工した関係者から話を聞けないかと吉永さんに尋ねたところ、施工したのは地元の大工さんで、20年ほど前に亡くなり、当時を知る人はもういなくなってしまったという。

 ちなみに、隧道入り口にあった石仏たちは、やはり以前から道端に祀られていたものだった。

 大渡隧道とともにあった旧大渡発電所だったが、1986年に大渡ダムが完成したことで取水口がダムの湖底に沈み、役目を終えた。かつて旧大渡発電所があったすぐ隣には、大渡ダムによって発電する新たな大渡発電所が建設され、大渡隧道の上を通っていた水管や上部の水槽は撤去され、現在の不思議な光景が出来上がったというわけだ。

ADVERTISEMENT

 吉永さんから「隧道の上のほうに、水力発電の池があった跡が今も残っている」と教えてもらったので、丁重にお礼を言ってから現場へ向かう。丘に登ると、コンクリートで不自然に囲われた空間があった。壁の一部が取り除かれ、不自然にS字カーブを描く道が造られている。ここで間違いないだろう。

隧道上部の池跡

 池から水管が伸びていたであろう痕跡を探す。45度ぐらいの角度で下に向かっていたとすれば、ここがコースに違いないという地点に、コンクリートの地面があった。

上部の池から水管の跡を追う

 コンクリートの上に立つと、ここが大渡隧道の真上だということに気づく。川のほうを見下ろすと、直線上に現在の国道33号大渡橋が架かり、その下には空き地が見える。大渡橋が架かっておらず、巨大な3本の水管が川に向かって伸びている往時の光景が頭に浮かんだ。

水管が通っていたであろう大渡隧道の真上

 ニッパツ時代の旧大渡発電所や大渡隧道のことを知る人は、今となっては非常に少ない。偶然とはいえ、こうして吉永さんにお話を聞けたのは、とても幸運だった。そして、木炭バスのことなど当時のお話を聞いている時間や、謎だった道の背景が明らかになる過程は、何事にも代えられない楽しさがある。そんな貴重な機会を頂けた吉永さんに、改めて感謝申し上げたい。

写真=鹿取茂雄

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。