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 だからもし、その人が生き延びるためには親と離れた方がいいなら、親と会わないまま関係が終わったとしても、私はそれでいいと思います。日々を穏やかに、幸せに生きることが、天から与えられた生命に報いるということですから。たとえ親にはそれが通じなくても。

小島さん自身はなぜ「痛みを少しずつ手放すことができた」のか?

――最後に、今、家族関係に悩まれている人に何かメッセージをいただけませんか。

小島 家族が苦しいとか、生きづらいと思ったときに、まずはご自分を責めないでほしいです。「苦しい、辛い」という気持ちはその人にしかわかりません。苦しむに値するかどうかを他人が判定することなんてできません。だから、「苦しんじゃいけない」「辛いと思う自分は弱くて間違っている」と思わないでいいのです。

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 頼れる人がいれば頼ってください。すぐに専門家につながれない状況であれば、打ち明け話ができる人でもいいですし、どうか1人で抱え込まないでほしいです。そして、もし「なぜこんなことが起きているんだろう」と考える余裕ができたときには、客観的に分析してみるのも気持ちを整理する助けになるかもしれません。

 

 最初は「あの人が憎い」とか「自分が嫌い」というところからスタートするんですけど、その時期を過ぎたら、相手を研究してみるのも役に立ちます。家族を親やきょうだいとしてではなく、名前を持った1人の他者として眺めてみて「この人はどのように生きてきたのか」「そのようにしか生きられなかったのはなぜなのか」を考えてみる。そして「どうして自分は苦しかったのか」と、自分のことも客観的な視点で眺めてみる。私の場合はそういう視点を持つことで、痛みを少しずつ手放すことができました。

家族の問題は社会の問題と必ず繋がっている

 家族の問題は、必ず社会の問題と繋がっています。家族の関係の歪みの背景には、社会構造の歪みがあるのではないかと考えてみると、ハッと気づきを得られることもあります。それに家族って、お互いの人生をほとんど知らないんですよね。未知の人なんですよ、きっと最後まで。

 時間をかけて、次第に「ああ、そういう風にしか生きられないことが人生にはあるんだな」と思えるかもしれない。苦しみながら生きた時間も、かけがえのない命の一部だと思えるようになるかもしれない。

 私も今、その途上です。こんなやり方もあるという一例をお話ししたに過ぎませんが、何かの折にふと思い出して下さったら、小さな気づきにつながることもあるかもしれないと思います。

 

撮影=深野未季/文藝春秋