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 当時の警察の報告書によると、周囲の状況を調べたが異常は認められず、死因は溺死と推定。死体を堤防上にあげ、衣類を脱がせ、身体の各部を見たが、両下腿前部に若干他の物体に擦れたような状態に皮下出血のあった他は全然外傷等はなく、眼瞼にも溢血点は認められなかったため自殺と判断し、東京監察医院に連絡した、という。午前11時、井出監察医により死体の検案が行われ、死因は溺死と認められた、とのことである。

 とんでもない誤りである。「若い女性の遺体で、乱暴された跡がないということは自殺である」という先入観があったと思われても仕方のない杜撰さだ。

 半世紀以上前の警察は、まだ戦前のような高圧的な取調べが行われていたり、科学捜査も未発達で杜撰な面もあったと言われているが、自殺と他殺では天と地の違いである。

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 ただ今日でも、自殺に見せかける他殺事件は珍しくない。自殺か他殺か、あるいは単なる事故かで揉めるケースもある。私が直接取材した経験がある事件は、朝の通勤ラッシュ時に起きたホームからの転落による轢死であった。

 その事件では、後ろから何者かに押された、いや自ら線路に飛び込んだ、あるいは瞬間的に眩暈が生じて線路に転落したなど、遺族と鉄道会社側、さらに目撃者らによって言い分が異なっていた。結果、電車の運転手、乗客らの証言により、自ら線路に飛び込んだ自殺とみなされた。遺書のないのは、残された家族のことを考えて事故に見せかけた自殺だったのでは、との声も聞かれた。

 やはり私が取材して記事にした中で、さらに忘れられない強烈な事件があった。関東にある大学の元学長による、事故に見せかけた自殺行為である。

 元学長夫婦は老後の楽しみにと、東京の空の旅をヘリコプターで一周するコースを申し込む。そして飛行中、いきなり操縦士の首を後ろから締めあげたのだった。副操縦士もいて、機内でしばしもみ合いが続く。が、元学長はかなわぬと諦めて、ヘリコプターのドアから妻と共に飛び降りてしまった。もしヘリコプターが墜落していたら、事故として処理されたのである。ヘリコプター会社に取材したが、「ゾッとした」という言葉はいまだに耳に残っている。事故として処理されれば、莫大な費用を遺族に支払わなければならないからである。

 BOAC事件に戻ろう。

 知子さんは自殺と認定されたものの、親族からの「自殺に思いあたるふしがない」という申し出により、あらためて遺体は慶応大学病院に移管された。