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 午前中から所用でもあるのだろうかと電車を乗り継いで鷺宮の邸宅に着くと、米長は着流し姿で待っていた。そして書斎の机の上に一升瓶をどんと置くと、にやりと笑った。

「これを飲んでからでなければ話さないよ」

 米長が何をしても、それは米長流として注目を浴びた。自宅の隣にはもうひとつ研究用の住居があった。41歳で史上3人目の四冠王となった第一人者は棋士が得られるあらゆるものを手中にしているように見えた。

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いまだ成らず 羽生善治の譜』(文藝春秋)

会場では、新名人にひと目会って声を掛けようと長蛇の列が

 ただ、そんな米長にしてひとつだけ手に入れていないものがあった。名人位である。挑むこと六度、ことごとく敗れた。1970年代後半から1980年代は同世代のライバル中原誠が立ちはだかり、そのうちに20歳近く離れた谷川浩司が出現した。米長はどうあっても名人になれない──いつしか周囲からはそう囁かれるようになった。そんな矢先、この1993年の5月に7度目の挑戦でついに棋界最高のタイトルを奪ってみせたのだった。栄光と挫折を織りなした米長のストーリーに世間は熱狂していた。

 冒頭の挨拶が一段落し、歓談の時間になると、京王プラザホテルの大広間は混沌の渦と化した。無数の声が反響し合い、1800人が発散する熱によって会場は煙って見えた。山村はその渦中、背丈の倍ほどもあるプラカードを持って米長の脇に立っていた。

『米長はここにおります』

 まるで大物政治家のパーティーのような光景だったが、新名人にひと目会って声を掛けようという人々に主役の居場所を知らせるためにはそうするしかなかった。そんな山村の隣で米長は参会者と握手をし、言葉を交わし、人の海を軽やかに泳いでいた。

「来年はあれが出てくるんじゃないかと」米長が指を差したのは…

 濃密な宴は午後8時半をまわった頃、ようやく終わりの気配を見せた。米長の師匠である佐瀬勇次が登壇し、謝辞を述べた。一般的な就位式ならばこれが締めくくりである。ただ、米長自ら式次第を書いたこの祝宴の最大の特色は、最後に本人のスピーチがあることだった。

 紋付袴でマイクの前に立った米長は眼前に広がる人の海を見渡した。自らが将棋によって手にしたものを確認するかのように、ゆっくりと会場全体を眺めてから話し始めた。

「ええ、今回、私が名人になれたのは運が良かったからです。実力? いやいや、実力でしたら、もっと早くに取っておった」

 会場が笑いに包まれた。名人奪取までの長い道のりをジョークにした、政治家も顔負けの洒脱な演説だった。

「この幸運を独り占めしては申し訳ないので、今日、お集まりいただいた方々にも私の運を分けて差し上げたい。そして来年は実力だけで、と思っております」