ご時世的には「不適切」だけど思わず笑ってしまうエッチ系コレクションや、若い頃お世話になった写真集やビデオなど、生前整理の際に一般的には真っ先に捨てられてしまいそうなモノたちを、還暦を過ぎた今も「僕は捨てないもんね!」と持ち続けているみうらじゅんさん。そんなみうらさんが、自身の「いやら収集品」から厳選した100点について書いた『通常は死ぬ前に処分したいと思うであろう100のモノ』(文藝春秋)より一部抜粋して紹介します(全3回の1回目/2回目に続く)
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さて、こーいったモノを何と呼ぶか。大きなくくりは「土産物」だが、そもそも土産物の第一条件は“買って嬉しい”“もらって嬉しい”であろう。
しかし、この向かい合ったタヌキの瀬戸物は果たしてその条件をかなえているのだろうか? 何かの拍子でついつい買ってしまったとして、このタヌキ・ペアを部屋のどこに飾るのか? いや、考えるな、感じるんだ!
昭和なら居間に水屋箪笥と呼ばれるガラス戸付きの棚があって、そこに年寄りたちは地方旅行で買ってきた土産物類を陳列し、孫などが家に訪れた時「その中で欲しいもんあったら持って帰ってもええぞ」と優しい口調で勧めたりしたものだ。しかし、孫にそんな渋い趣味があるわけなくて、得意気に出したものを結局、また水屋箪笥に戻すだけのこと。要するに、旅の思い出の品なんて誰も欲しがらないということである。
しかもこのタヌキはカップルだろう。メスだけ見れば何てことないプリティ顔のタヌキだが、オスの金玉がとても見栄えが悪い。しかも誇張に誇張を重ね、とんでもないデカさに膨れ上がっているではないか。
「コレ、オチンチン?」
孫もついその部分に疑問を持ち、聞いてくるだろう。
「コレはオチンチンやあらへんで。その下のタマタマやがな」
こんなことを孫に教えてるジィジィは息子の嫁に「お父さん、変なこと教えないでくださいよ!」と、お叱りを受けるに決まってる。言うなれば実に危険な土産物でもあるわけだ。
“タヌキの金玉、八畳敷き”というのは、その昔、金箔作りの際、金の玉をタヌキのなめし革に包んで叩いたから。それが八畳くらいにまで伸びるというから驚きだ。そんな知識は桂米朝さんの落語のマクラで聞いたのだけど。ま、何にせよタヌキにしたら大迷惑でイメージダウンであることは間違いない。当然、僕の部屋にも置き場所はない。