ちなみに、このときに三原城の石垣を削ることになるという問題に対し、文化庁は難色を示している。三原市や国鉄がなんとか文化庁を説得し、了承を得られたそうだ。何かと都市開発に対して批判が集まりがちな昨今だったら実現しなかったかもしれないが、ともあれこうして1975年に新幹線三原駅が開業した。
新幹線駅は町の発展に拍車を掛け、1981年には駅前再開発にともなってペアシティ三原が生まれ、百貨店の天満屋が営業を開始している。まさに、右肩上がりの時代であった。
工場街でも新幹線の町でもない…「三原」のもうひとつの顔
しかし、時代は徐々に右肩下がりへ。駅前から南の埋立地に向かう帝人通りは、その名の通り帝人の工場の面前に続く道筋だった。しかし、帝人の工場は徐々に縮小。
いまでは帝人通りをまっすぐ南進すると、帝人の工場ではなく商業施設が並ぶ道につながっている。東洋繊維の工場は移転し、その跡地はイオン三原店。他にもいくつかの工場が、町の中心から姿を消した。
それでも、いまも三菱重工の工場は現役バリバリだし、最近は観光客も増えているという。町を歩けば、駅やその周りの市街地の中に三原城の時代の痕跡があちこちに。駅北西の西国街道沿いを歩くと、ここにも三原の町が刻んできた歴史が香る。
西国街道沿いにはお寺や神社も多く、古の“三原の中心”らしさは健在だ。そこに、近代以降の工業都市としての側面が加わる。駅の南、ビジネスホテルが建ち並び、脇には歓楽街の雰囲気が漂っているというのも、出張族が多い工業都市らしさといったところだろうか。
そして、三原は瀬戸内の町である。駅前からプチ歓楽街の間を抜けて国道185号に出て、それを渡った先には三原港。瀬戸内の島々までの航路が出ている港である。
新幹線で三原駅を降りてから、ほんの10分もあれば着く瀬戸内の港。三原港から正面南を見ても、埋立地が広がっているばかりで瀬戸内の島々は見えない。が、三原から南東にはいくつもの島々が浮かぶ。せっかくなので、三原港から船に乗って、沖合に浮かぶ小さな島のどこかに立ち寄ってみたいと思う。
写真=鼠入昌史
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