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中村 私は小林君と一緒に幹事を務めましたが、彼は自分にも他人にも厳しい熱血漢でした。私は自分にも他人にも甘いんです(笑)。研修会員はお客さんですが、奨励会員は目標を持っている立場で、こちらもより本音でぶつかっていけましたね。新入会員でまったく勝てずに大泣きするような子もいましたが、そんな子でも半年くらいすると引き締まった奨励会員らしい顔つきになりました。

 あと、私の時代には奨励会3人娘と言われた矢内さん(理絵子女流五段)、碓井さん(現・千葉涼子女流四段)、木村さん(現・竹部さゆり女流四段)が入ってきました。3人とも幹事席の目の前に座って、頑張っていたなあと思い出されます。その翌年(94年)に渡辺君(明九段)、阿久津君(主税八段)が入会です。渡辺君なんか小学生のころから今のままですよ。ちょうどそのころ、森下君が「大山先生(康晴十五世名人)の若い時に似ている」と渡辺君を評すると、それが雑誌に載りますね。それを読んだ私は「君は大山先生の若い時を見たことあるのか」と突っ込みたくなりました(笑)。

少年時代には「大山先生の若い時に似ている」と評されていた渡辺明九段 ©︎文藝春秋

成績が振るわない子には声をかけてあげる

――渡辺少年が大山十五世名人に似ている、というエピソードはあちこちで言われていたと思いますが、確かに若い時の大山十五世名人を知っている方は、30年前でも、もうさほどいらっしゃらなかったような……。

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中村 その辺のメンバーはちょうどみんな1級くらいでくすぶっていたのですが、私が幹事をやめるとみんな昇級しました。何かきっかけがあると変わるということを感じましたね。

 奨励会員はみな優秀でまじめ、単純な優劣はつきにくいです。それでも幹事の視点では目立つ子がいます。同じくらい優秀で同じくらいの手を指しているけど、その中で個性を出せる、相手の読まない手を指せる子が上がっていくんですね。逆に仕事もできるし真面目だから四段になってもらいたい子もいますが、そういう子に限ってなかなか上がれずにやきもきします。

中村修九段

北浜 奨励会幹事の仕事について、漠然としたイメージはありました。例会での会員同士の手合いをつけることや公式戦の記録係を決めることなど。でも具体的な内容は外からだとわかりません。実際にやってみると滅茶苦茶大変でした。手合いのつけ方は藤倉さんに教わって、必死でした。今の視点で考えると当時気づかなかったことは色々ありますね。例えば真田さんは理事をされていたので、それを生かして理事会との折衝をやってくださっていました。自分が関西に行ってから初めて分かったことです。

 あと藤倉さんは成績が振るわない子によく面接をしていました。奨励会はプロの世界だから必要ないのでは、と当時は思っていましたが、成績が悪いと気持ちが後ろ向きになります。そういう子に対して勉強や研究をどうしているかと聞く姿勢、それが素晴らしいなと。自分も関西では成績が振るわない子に一言二言声をかけるようにしました。藤倉さんに教わったことで、自分も成長させてもらいました。

写真=文藝春秋/石川啓次

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