「佐渡流人行」1957年(有栖川有栖・選)
有栖川 清張さんは歴史・時代物も面白いですよね。骨太で迫力があって。推理作家としてより歴史作家・松本清張のほうが好きな読者もいらっしゃるでしょう。「佐渡流人行」はその両者が合体して、極みに達したような作品です。
北村 『無宿人別帳』なんかも粒揃いの時代短編集ですね。
有栖川 私、この短編の最後の一行が死ぬほど好きなんです。妻も不貞相手も昏い穴に落ちて死に、呆然と泣く主人公の後に、
――月光は、いつのまにか、この廃坑の入口まで歩いてきているのだった。
清張作品で一番好きなエンディング。呆然としている間の時間経過を月光が“歩く”という言葉を効かせて表現する。小説ってこんな風に文章で魅了してくれるんだ、と、この一文を賞賛したいがために選んだとも言えます。取材に基づく佐渡の描写や、鉱山で水替え作業に従事させられた流人の過酷さとか、作品そのものがすごく高水準なのはもちろんですが。
北村 時代小説にも大変な業績を残しているので、本来はもっと紙幅を割きたいところですが、「最後の一行」ときたら私も「月」の話に進むしかないですね。
「月」1967年(北村薫・選)
北村 長年地道な学問を続けてきた伊豆という学者が、かつての教え子・綾子の家に疎開している。戦争が終わり、彼の研究がようやく日の目を見るかもしれない。若い編集者が訪ねてくる。そして最後の一文、
――月の晩、伊豆は便所の窓の桟に綾子の腰紐をかけ、中腰で縊れた。
有栖川 ひどくて凄い。こんな怖い小説があるか、という。どんでん返しとかではなく吃驚しました。
北村 「便所の窓の桟に」とわざわざ書く切れ味、非情さ。これで題が「月」というのがまた凄い。
有栖川 思いを寄せる女性が書く“月”の字が傾いていたり、悲しい末路を迎えるだろう不吉さが全編に漂っていて、それでもどうにかこのまま終わるかと安心したところに最後の一文。こんなショックの与え方があるんですね。
北村 最初に題があったのか、書き進めて最後に付けたのか……。出来上がってみれば題も結びもこれしかないという唯一の形になっているのは、天性の小説家のなせる技でしょう。
有栖川 漢字一文字タイトルって清張作品にはいくつもありますよね。「雨」「影」「紐」とか。いつか「月」で行こう、とは狙っていたのかもしれませんね。
北村 “人間が書けている”というのは嫌な言葉ですけど、主人公の心理がまことに切れ味鋭く迫ってくる。最後の容赦なさも含め、一読忘れ難い名品です。
「白い闇」1957年(有栖川有栖・選)
有栖川 人間観察や心理を抉る文章もさりながら、本作一番の魅力は推理小説としての洗練。興味を引く発端、旅につれ浮かび上がる事実、意外な結末。当時の推理小説のひとつの完成形です。
北村 水もたまらぬ切れ味の、ミステリーのお手本のような短編。
有栖川 当時の清張さんは専業作家になりたて。九州で不本意な仕事もしつつ小説を書いて東京に出て、依頼が増えて新聞社を辞めて……からの十和田湖取材旅行ですよ。どれだけ楽しかったことか。自分があるべき場所に立てた歓び、清々しさが作品に横溢しています。瑞々しくもある。
北村 北海道へ行くと告げて失踪する夫。霧に包まれた十和田湖でのクライマックス。取材で得たものを余すところなく入れ込んで、その舞台に登場人物たちが見事にはまって動いている。
有栖川 どんな作家も、アイデアがするする浮かんで楽しく書ける時期って実は僅かですよ。「白い闇」はそんな、作家にとっての短くも幸せな時期に書かれた気配を感じて好きなんです。
北村 清張先生も後年は、多少急いで書かれたかなという作品があったり、この一か所だけ手を入れたら傑作なのにと思うものもあるんですが、これは本当に文句のつけようがないですね。