「戦争に協力しない研究」は可能か
戦後、科学者らは戦争へ協力したことを反省する。昭和24年に設立された日本学術会議は「戦争を目的とする科学の研究は決して行わない」という主旨の声明を昭和25年と42年の2回出した。
一方、政府はアカデミズムを軍事研究に引き込もうとしてきた。たとえば平成27(2015)年度に防衛装備庁が始めた「安全保障技術研究推進制度」では「防衛にも応用可能な先進的な民生技術を積極的に活用することが重要」だとして、防衛分野への貢献が期待される大学や企業などの基礎研究に助成金を出すことになった。
学術会議は平成29年に声明を発表し、同庁の助成制度について「政府による研究への介入が著しく、問題が多い」と慎重な対応を求めた。さらに大学等の研究機関に「技術的・倫理的に審査する制度を設けるべき」だとした。政府主導の軍事研究に参加することへの歯止めをかけるものだ。
ただ、民生用ドローンが戦場で利用されていることに象徴されるように、現代は非軍事と軍事の境界を見極めるのは極めて困難だ。それゆえ「軍事に関係する研究はしない」と言うだけでは、説得力は乏しい。
一方で、福島原発事故で明らかになったように、政府の原子力政策には潤沢な予算がついていたものの、研究レベルは極めてお粗末だったという状況もある。これは原子物理学が反核運動のターゲットになったせいもあるが、優秀な人材がこの分野に進まなかったとの見方もある。
もし日本が原爆を製造していたら、サイパンに投下するような暴挙を行ったであろうことを思えば、仁科ら科学者は必死に防波堤の役を果たしたと言えるかもしれない。しかし、為政者が科学に理解がないという失敗は、いまだに繰り返されているのではないだろうか。
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本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(保阪正康「日本の地下水脈 日本の『原爆開発』秘話」)。