「イズイ無くして、マグロ揚がらず」。漁師たちは口々にそう言う。泉井鐵工所のラインホーラーのことだ。苦境に立たされ、そのたびに蘇り、世界中のマグロ漁に革命を起こした男の物語。
マグロのはえなわ漁は江戸時代に始まった
神田須田町の寿司店「鮨葵」。どこの町にもある普通の寿司屋で、店内にはテレビがある。客はニュースやスポーツ中継、お笑いなどのバラエティ番組を見ながら酒を飲み、刺し身と寿司を食べる。値段は高くない。
客筋はいい。日本橋、神田の老舗企業の会長や相談役、警察幹部、銀座の一流寿司店の職人といった人たちが食べに来る。「鮨葵」に来る客が目当てにしているのはマグロだ。主人、田口勝己は冷凍の魚は一切使わない。マグロは近海の延縄(はえなわ)漁で獲ったホンマグロだけ。握りや鉄火巻きのほかに、カマの部分はねぎと一緒にねぎま鍋にする。ねぎま鍋のマグロは黒胡椒で食べる。
田口はカウンター越しにわたしにこう言った。
「マグロは一本釣り、巻き網、延縄とあるんです。一本釣りは超高級品だから、うちではまず仕入れることはありません。巻き網漁で獲ったマグロは網のなかで暴れるから身が黒くなる。寿司屋じゃ使いませんよ。だから、うちで主に使っているのは近海で獲った延縄のマグロになります」
田口は川崎出身。私立の坊ちゃん高校に通っていたが、兇悪で知られた暴走族メビウスに参加して毎晩、国道16号線を飛ばしていた。それが彼の高校時代である。
「写真集ありますよ、見ます?」
差し出された私家版の暴走族写真集にはチリチリのアイロンパーマを頭にかけた高校生が写っていた。バイクにまたがり、平然と煙草を吸っている。
その男が四十数年経った現在、カウンターのなかで実直に寿司を握っている。人間は驚くほど成長する。
田口はマグロの握りをひとつ、わたしの前に置いて、言った。
「マグロの延縄って日本で始まったんですよ。知ってました?」
それは知っていた。しかし延縄漁の詳しいことは知らなかった。調べてみると、次のような文言を見つけた。