入院してから4日。命が今にも消えようとする直前、父は射すくめるような目で私を見た。思わず、私は「会社は大丈夫だから!」と叫び応えた。父は私の目を見つめたままの姿勢で息を引き取った。
ベテラン社員から後継者に推され…
父が突然亡くなった悲しみに浸る間もなく、現実が次から次に押し寄せた。
メーンバンクの支店長と担当課長が訪ねてきて、早速切り出されたのが後継者の問題だ。
「それで、この後はどなたが社長になるのですか」
その場にいたのは私と夫、姉夫婦の4人だった。自然と大手自動車部品メーカーのエンジニアである夫に視線が集まった。
だが、その頃、夫は希望していた米国赴任が決まり、旅立つ直前だった。悩んだ末、夫は自分自身の夢でもあった米国赴任を選択する。
私はベテランの幹部社員3人を集め、「今いる社員の中から話し合って社長を選んでください」と伝えた。
数日後、ベテラン社員たちが出した結論は驚くべきものだった。
「貴子さん、社長をやってください」
「俺たちが全力で支えるからお願いします」
「頼みますよ。この通り」
ベテラン社員たちは私の前で頭を下げた。全く想像していなかった展開に驚くばかりだった。
私は創業者の娘であり、過去にはダイヤ精機の取引先でもある大手自動車部品メーカーでエンジニアとして働いた。ダイヤ精機に2度勤めた経験もある。確かに姉よりも会社との接点はあった。
だが、その時点では「ただの主婦」。経営に関してはズブの素人だ。規模の小さな町工場とはいえ、国内でも指折りの精密加工技術を持つ会社をただの主婦が継いで事業を継続できるのか。社員だけでなく、その家族らも養っていく責任がある。私に彼らの生活を守る力があるのか。クルマや家のローンすら組んだことがないのに、万一の場合は会社が抱える負債をかぶることになるかもしれない。その時はどうするのか。
何もかもが怖く、悩みに悩んだ。
その時、背中を押してくれたのは、会社の顧問弁護士を務める佐藤りえ子さんのシンプルで力強い言葉だった。
「取られて困る預金はいくらあるの?」
佐藤さんにそう尋ねられ、私が「披露宴の司会のアルバイトで貯めた50万円ぐらいですかね」と答えると、「それなら怖いものなんてないじゃない」とバッサリ。
この言葉で、「そうか…。うまくいけばラッキー。失敗しても命まで取られることはない。やってみればいいんだ」と覚悟を決め、思い切って社長になる道を選んだ。
夫は単身で米国に渡った。6歳だった息子と私は日本にとどまり、新しい生活を送ることになった。