1ページ目から読む
2/4ページ目

 ジャニーズ事務所どころか、平成の芸能界随一の成功例といってもいい木村拓哉。90年代、20代の木村拓哉が芸能界の最前線を走る大スターだったことは誰もが認めるところだろう。Supremeの服、リーバイスのジーンズ、クロムハーツのシルバーリングetc……彼が身につけるものは同性も多く買い求め、今でいうインフルエンサー……といった言葉にまとめてしまっては陳腐すぎるほどに、流行を作り出す活躍ぶりだった。

 だがそんな流行の最中で、木村は、自分が商品として扱われることへの抵抗を示していた。それを如実に表しているのが「キムタク」という呼ばれ方への嫌悪感である。

 木村は「キムタク」について「あるとき、自然に発生して、自分の意思とは関係なく、ダーっと世の中に広がっていった」(※3)と語っている。

ADVERTISEMENT

 さらにこうも述べる。

「キムタクっていうのは、メディアというフィルターを通ったり、何らかの他の人の力が加わったときに出てくるものでしょ。ま、一言で言っちゃうと商品だよね」(※4)

 この発言がされたのは社会現象ともなる『ロングバケーション』と『SMAP×SMAP』が4月に放送開始する直前の1996年2月で、当時、木村拓哉・23歳。この若き日の発言は、自分と「キムタク」は別個であるという叫びのようにも聞こえるし、自分が「キムタク」という商品にされていることへの怒りでもあり諦念のようなものすら感じられる。

「自分をつくってるのは自分」という矜持

 同じ96年2月のタイミングでこんな文章も綴っている。

「自分は、あくまで、“木村拓哉”っていう人間ではあるんだけど、同時に“SMAP”という商品でもある。ブランドって、その名前がついただけで、同じものが高く売れたりする。今、“キムタク”とか“SMAP”っていう名前が、ひとつのブランドみたいになってきちゃってる。でも、『俺たちを見たり聞いたりっていうふうに消費してくれてるみんなは、俺たちの価値って、どう位置づけてるのかな』ってときどき思うんだ。うちらの場合は、自分をつくってるのは自分。並べて売るのは事務所かもしれないけど、あくまでも、自分が自分の生産者」(※5)

SMAP ©文藝春秋

 SMAPとしてCDデビューしてから5年。すぐにブレイクとはいかず、やっとブームの波がやってきたその渦中である。むしろすぐにブレイクしなかったからこそなのか、舞い上がってもいい状況の中でこれだけ冷静に状況を捉え、客観視できる若者であったことに改めてその底知れなさを感じる。

 この26年後、50代を目前にした木村拓哉は、当時を振り返って、やはり「キムタク」呼びが嫌だったことを語っている。