だが、警察庁が音頭を取ったことで、14年3月頃から他府県警も協力するようになり、結果として千佐子は、8人に対する殺人や強盗殺人未遂容疑で逮捕が続き、そのうち4件について起訴された。
なお、私にわかった限りの情報ではあるが、1994年9月に大阪府で死亡した最初の夫を含め、逮捕されるまでの間に、夫や交際相手など、彼女と近しい間柄の男性11人の死亡が確認されている。
法廷で繰り返された「私は老人性痴呆症」
「私は老人性痴呆症で……。1週間前のことも思い出せないです」
2017年7月に京都地裁で開かれた第8回公判での被告人質問において、千佐子は検察官による問いかけに対し、上記の答えを返している。このときに限らず、法廷で彼女はしきりと、加齢による記憶力の低下を訴えていた。だがそうした発言は、彼女にとって便利な「方便」であったようだ。
私は京都地裁で彼女に死刑判決が出て2日後の、17年11月9日から18年3月6日にかけて、収容されていた京都拘置所で、22回にわたって彼女と面会を繰り返した(その後、3年4カ月の間を空けて、収容先の大阪拘置所で23回目の面会をする)。
そのなかで、「長谷川式認知症スケール」という、医療機関でも活用されている、認知症のチェックシートを、彼女にやってもらっていたのだ。その結果を知人の精神科医に見てもらったところ、同医師は言う。
「これは認知症とはいえないレベルですね。まだ全然大丈夫な人ですよ」
そこで私が、千佐子が「憶えてない」という言葉を多用していることを伝えると、同医師は続けた。
「『憶えてない』がいちばん強いんですよ。それで話が終わるので、突っ込みようがないでしょ。私自身もそういう人を診察しますけど、こっちにとっていちばん難しい、やる方にとっていちばん簡単という手段で、いちばん厄介なんです」
「そら生きられるなら、生きていたいと思うわ」
ちなみに千佐子との面会時に、彼女は京都地裁で死刑判決を受けた自分への、刑の執行がいつになる予定なのかを私に尋ねている。そこで私が、いまはたとえ最高裁で刑が確定しても、すぐに執行されないことを伝えたところ、彼女は聞いてくる。
「私いま70でしょう。75まで生きられるんかなあ?」
それは生きてるでしょう、と、希望を持たせる言葉を返した私に対し、千佐子は「私は死刑は覚悟してるから。いつ執行されても仕方ないと思ってる」と言い切ったが、すぐに考えを改めたようだ。「やっぱり私も人間やからね」と前置きして、「そら生きられるなら、生きていたいと思うわ」と続けるのだった。
また、自分の身体については次のように話していた。
「ほんでな、目もいいし、胃も丈夫なんやけど、肺だけが悪いんや。子供のときから肺炎を起こしたりしてて、よう熱を出してたの。ただな、拘置所で生活するようになったやろ。そうしたらここは社会とは遮断されとるから風邪の菌がないねん。だから、いっぺんも風邪ひかんようになったわ」
