女郎屋にとって、女郎は儲けを生み出すためのほぼ唯一の商品。それを盗んだ男が暴行を受けたのは当然として、女郎も裸にされ、両手両足を縛って天井から吊るされ、竹棒で殴りつけられるなど、受ける折檻はあまりに苛烈だった。それには、ほかの女郎たちへの見せしめの意味もあった。

トップ遊女に必要だった能力

さて、身請けにかかる金額は高級な女郎ほど高かった。その典型が、小芝風花演じる五代目瀬川だが、まずは四代目瀬川の話からはじめよう。

ちょうど蔦重の幼少期にあたる宝暦年間(1751~64)に活動し、「瀬川」の名を、吉原を代表する名跡にまで引き上げたのが四代目だった。美貌に加えて才女の花魁で、「才」のほうは書画にはじまり、和歌、俳諧、茶の湯、三味線、笛太鼓、囲碁、すごろく、易学、蹴鞠と、まさになんでもこなしたという。

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吉原がいまの中央区日本橋人形町にあったころは、夜間営業が禁じられていたこともあって、客は大身の武士や文化人が多く、このような客をよろこばせる知性や芸が女郎には必須だった。日本堤(台東区千束)に移転後も、高級な遊女ほど多方面の才能が求められたのである。

四代目瀬川はこうして才色兼備だったので、身請けしたいという男性が絶えなかったようだ。結局、江市屋(えいちや)宗助という豪商に身請けされ、両国近辺に囲われたと伝わる。おそらくかなりの金額が支払われたのだろう。

だが、28歳の若さで生涯を終えている。「べらぼう」の第8回では、四代目が自害したため不吉だとして20年近く空いていた名跡だった、とされていた。だが、実際には、四代目の死因はわかっていない。

1億4000万円で身請け

そして、蔦重が『吉原細見 籬の花』を刊行した安永4年(1775)に瀬川の名跡を継いだのが五代目だった。

ドラマでは蔦重の幼なじみという設定だが、じつは前半生についてはよくわかっていない。だが、「瀬川」を襲名するだけのことはあり、美貌はもちろんのこと、書画や詩歌から歌や踊りまで、幅広くこなしたという。実際、吉原を代表する花魁として名を馳せたが、そこに現れたのが前述の鳥山検校だった。