僕としては、とにかくギリギリまで原稿を書いて過ごしたい。原稿を書くには意識をクリアに保つ必要があり、だるさを感じながらでは編集者や読者が納得する原稿を書く自信はない。
ラジウム223を実施しないことで生存期間が数カ月短くなっても構わないから、「クリアな意識」を維持したい旨を伝え、小路医師の理解を得た。
僕一人で緩和ケア科の外来を受診した
今後は、いま月に一回点滴投与している「カバジタキセル」と、以前投与していた「ドセタキセル」を状況を見ながら選んで投与し、あわせて緩和ケア科のサポートを受ける――ということで合意した。
その場で緩和ケア科の予約を入れてもらったところ、その日のうちに医師と会えるというので、従妹とおばさんは今日のところは帰ってもらい、僕一人で緩和ケア科の外来を受診した。
対応してくれたのは同大緩和ケア科診療科長(特任教授)の徳原真医師。聞けば、僕が日頃お世話になっている四谷のかかりつけ医と以前一緒に働いていた仲で、新宿の病院で働いていたという。
「大きな声では言えませんが、伊勢原よりも新宿の医療事情のほうが詳しいんですよ」
と笑う。じつに大きな援軍を得た思いだ。
徳原医師にも、ギリギリまで仕事を続けたい(延命よりもだるさを抑えることを優先したい)こと、ギリギリまで四谷の自宅で過ごしたいことなど、こちらの希望を伝えた。
今回は初めての診察だったので、その程度のやりとりで終わったが、漢方を得意とする徳原医師から「牛車腎気丸」という薬が処方された。これを以前処方された「補中益気湯」や「人参養栄湯」と併用すると、だるさが薄れることがあるという。
大いに期待したいところだ。
※長田昭二氏の本記事全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています。全文では、「逆四十九日」を迎えての心情、大阪への日帰りインタビュー、足腰の著しい筋力低下などについて語られています。
■連載「僕の前立腺がんレポート」
第1回「医療ジャーナリストのがん闘病記」
第2回「がん転移を告知されて一番大変なのは『誰に伝え、誰に隠すか』だった」
第3回「抗がん剤を『休薬』したら筆者の身体に何が起きたか?」
第6回「ホルモン治療の副作用で変化した「腋毛・乳房・陰部」のリアル」
第7回「恐い。吐き気は嫌だ……いよいよ始まった抗がん剤の『想定外の驚き』」
第8回「痛くも熱くもない〈放射線治療〉のリアル」
第9回「手術、抗がん剤、放射線治療で年間医療費114万2725円! その結果、腫瘍マーカーは好転した」
第11回「抗がん剤で失っていく“顔の毛”をどう補うか」
第19回「余命宣告後に振り込まれた大金900万…生前給付金『リビングニーズ』とは何か?」
第21回「がん細胞は正月も手を緩めず、腫瘍マーカーは上昇し続けた」
