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日本vs.ベルギー戦の舞台 ロストフアリーナの“大誤算”

ロシア建築史家による「決戦」と「決勝」のスタジアム論

2018/07/02

決勝の舞台は「スターリンの忘れ形見」

 ロシアを代表するスタジアムと言えば、それは間違いなくモスクワのルジニキだ。今回のW杯でも、ルジニキは決勝戦の舞台を務める。そんなルジニキの歴史をここでは簡単に辿ってみたい。

決勝の舞台、モスクワのルジニキ ©JMPA

 ルジニキ建設のきっかけとなったのは、1952年のヘルシンキ五輪だった。この年、ソ連はオリンピックに初めて参加し、アメリカに次ぐ71のメダルを獲得する。一躍スポーツ大国となったソ連は、その地位にふさわしい新たな巨大スタジアムの建設計画に着手した。こうして1956年にレーニン記念中央スタジアム、のちのルジニキが誕生する。

やたらと巨大化する「社会主義リアリズム」

 ところでスターリン時代のソ連では、文学であろうと建築であろうと、「社会主義リアリズム」と呼ばれる公式のスタイル以外を用いることは許されなかった。1953年に独裁者は没するが、ルジニキは依然としてこの様式に即してデザインされた。

 社会主義リアリズム建築の特徴は、古代ギリシア・ローマ建築(古典主義建築)をベースとしつつも、社会主義を表す彫刻や壁画などを有し、そしてやたらと巨大化する点にある。その頂点を占めるはずだったのが、1930年代にスターリン自身の命によって計画されたソヴィエト宮殿だ。自由の女神よりも巨大なレーニン像を載せた、世界で最も高く(420メートル)、最も巨大な建造物――その姿は社会主義が個人崇拝へと転換したポイントを示しているといえるだろう。

ソヴィエト宮殿 Архитектура СССР, 1937, №6(『ソ連建築』1937年第6号)より

 このようなデザインをそのまま実現することは明らかに不可能だったが、スターリンの計画に否を唱えることのできる建築家は既にソ連にはいなかった。こうして誰も止めることができないまま、ソヴィエト宮殿の建設はスタートしてしまう。しかし幸か不幸か、間もなくドイツとの戦争がはじまり、工事は中断を余儀なくされた。ちなみに同時期のナチス・ドイツでも、ヒトラー指令によって同様の巨大建造物が次々に計画されていた。クラシックかつ巨大なスケールのルジニキを見ることができたなら、ヒトラーも気に入ったかもしれない。