平成がまもなく終わろうとする今日、武蔵高校出身者が相次いで組織のトップについた。なかなかユニークなキャラクターを発揮してくれる3人の武蔵神童を紹介しよう。

文部科学大臣の「教育勅語」発言

 2018年、第4次安倍晋三改造内閣で任命された文部科学大臣の柴山昌彦(1984年卒)。就任会見でこうかましてしまった。

  教育勅語について、

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「同胞を大事にする、国際的協調を重んじるなどの基本的な記載内容について現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、検討に値します」

「今の例えば道徳等に使うことができる分野は、私は十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分が見て取れます」

柴山昌彦氏 ©文藝春秋

歴史的に教育勅語を突っぱねてきた武蔵高校

 歴史的に武蔵高校は教育勅語と相性が悪い。

 第2次世界大戦中、旧制の武蔵高等学校は構内に「奉安殿」を設置しなかった。奉安殿とは、天皇の「御真影」とともに教育勅語を「奉戴」し安置するための施設をいう。文部省、軍部の意向を無視した形だ。

 陸軍担当者は学校を訪問した際、「奉安殿」の場所を問われたが、校長は「本校にはいまだ奉安殿はありません」。

 陸軍担当者が怒った。「けしからん。直ちに奉安殿を建てて御真影をお迎えしなくてはならん」。

 校長は突っぱねる。「一軍人のあなたに命令される筋合いではない」。

 陸軍担当者はキレてしまう。「自分は一軍人であるが、自分の言うことはすなわちお上の命である」。

 校長は逆襲する。「ほう、すると永田鉄山を殺した相沢三郎もお上の命でやったということですか」。

 以上、武蔵高校の校史による。1935年(昭和10年)、陸軍のなかで皇道派の相沢三郎中佐が統制派の永田鉄山軍務局長を斬殺した(相沢事件)。

文部科学省 ©文藝春秋

 この時代、ほとんどすべての学校に「御真影」「教育勅語」が掲げられていた。しかし、武蔵は教育勅語を突っぱねている。

 2018年になって、武蔵神童は教育勅語を復活させようとしている。武蔵にコケにされた陸軍の怨念が、70年以上経って武蔵神童に乗り移ったのか。

 柴山文科大臣は東京大法学部出身。弁護士資格を持つ。