愛新覚羅溥儀 周恩来に教えられた秘話

福永 嫮生 愛新覚羅溥傑・次女
ニュース 中国 昭和史

清朝最後の皇帝で、満洲帝国皇帝にもなった愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)(1906―1967)は中華人民共和国成立後、自伝『わが半生』を発表し、一部が月刊「文藝春秋」に掲載された(1964年10月号)。溥儀と共に激動の時代を歩んだ弟・溥傑(ふけつ)とその妻・浩(ひろ)の次女、福永嫮生(ふくながこせい)さんが、愛新覚羅一族の戦後史を綴った。

 満洲帝国の崩壊後、伯父の溥儀と父の溥傑は拘束され行方不明となりました。そして、私と母・浩は命からがら母の故郷日本に戻って参りました。しばらくして、中国の撫順の戦犯管理所に2人が収容されていることがわかりました。

愛新覚羅溥儀

 1958年に母は「文藝春秋」から依頼されて手記を書きました。「満洲宮廷――その流転と潰滅」という題で掲載されたその原稿は、縁もゆかりもない満洲へ嫁いだこと、父との仲むつまじく過ごした日々、苦難の逃避行など、私も知らない事実が書かれていました。幸いにして多くの方から反響をもらったようで、より詳細に綴って一冊の本にしましょうという相談が参りました。

 ちょうどその頃、我が家では大きな不幸がありました。姉が死んでしまったのです。当時の母はふさぎ込んでいまして、何も手につかない状態でしたが、原稿の執筆は母に生きる意欲を取り戻させました。

 刊行後、私たち家族の念願だった父との再会が果たされました。香港経由で中国に入ると、釈放された父が待っていました。姉の遺骨を胸に「申し訳ありません」と泣く母を父は「私こそすまない」と慰めていました。

福永嫮生さん ©文藝春秋

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 その後、共に父と伯父の住む北京に向かいました。当時、伯父は北京市内の植物園に勤めていました。宮廷や戦犯管理所暮らしで世間を知らない伯父でしたが、とても心の優しい方で天真爛漫なところが誰からも愛されていました。

 最初のお給料を貰った日、伯父は帰り道でそれを落としてしまったそうです。そこで、職場にもどり「なくしたので、もう一度、給料をください」とおっしゃった。職場の方も、驚きながら「もう落とさないでください」と言ってまた下さったとか。

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source : 文藝春秋 2018年1月号

genre : ニュース 中国 昭和史