10月22日、「即位礼正殿の儀」が行われた。天皇が即位を内外に宣明される祝賀の儀だが、同時に“国民の共感、関心”と“伝統”をどう両立させるかも重要なこと。元宮内庁職員の筆者が秘儀の中身を解説する。
「平成」の時は国民全体の関心が高かった
10月22日の「即位礼正殿の儀」は、風雨のため儀式を「雨儀」に変更して行われました。私は現在の職場である昭和天皇記念館の自分のデスクのノートパソコンで、「YouTube首相官邸チャンネル」のライブ中継でその模様を見ていました。「萬歳旛」などが落ちるほどの風雨で、「威儀(いぎ)の者」の「庭上(ていじよう)」への出役が取りやめとなるなどの報道を見て、3月まで宮内庁に勤務していたので、それまで同僚や部下だった職員が裏方でいろいろ苦労をしているのだろう、ということが気になっていました。
天候のせいで仕方がないとはいえ、装束を着た「威儀の者」が「庭上」に出ないことは儀式としては寂しく残念でした。パレード(「祝賀御列の儀」)も延期され、台風19号の被災地ではまだ苦しんでいる人々も多く、当日の雨でまた被害が出るかもしれないといった状況でもありました。
ただ、そうしたことを差し引いても、平成の時の方が、国民全体の関心は今よりもずっと高かったように思います。今回は目立った反対運動も見当たらず、これを違憲とする意見も大きくありませんでした。それだけ平穏な雰囲気のなかで行われたとも言えるのですが、一方で国民全体の関心は、今ひとつ盛り上がらなかったように思いました。
国民の関心・共感も大事
今回は、「平成の即位の礼」をほぼ踏襲し、一部を簡素化して行われました。これによって、今回の儀式次第が、“新たな伝統”として定着していく可能性が高くなりました。
「平成の大礼」は、皇室の伝統と日本国憲法とをいかに整合させるか、関係者が苦心して作り上げた、最初の試みでした。本来であれば、今回も、その踏襲と簡素化だけではなく、平成度の反省をしっかりと行い、儀式の趣旨と伝統と現在の時代状況を考えて、もう少し積極的に工夫してもよかったのかもしれません。
即位を宣言する天皇陛下
「即位の礼」は、天皇が即位を内外に宣明される祝賀の儀式なので、祝意をどう表現するかが課題となります。今回は、安倍総理の「寿詞(よごと)」の後、「万歳三唱」がありました。
ただ実を言えば、私は、安倍総理の「万歳」に参列者が唱和するのが聞こえても、“自分は第三者として見ているだけ”という感覚がどうしても拭えず、あまり共鳴できませんでした。特に戦後世代には、私と同じような違和感を感じた方もいらっしゃったのではないでしょうか。
「昭和の大礼」の時には、田中義一首相が万歳を奉唱する午後3時に合わせて、全国の各学校はじめ各種団体で万歳奉唱がされ、多くの国民が奉祝の“一体感”を経験しました。もちろん、今の時代に、このような奉祝強制はナンセンスです。しかし、単に儀式を形式的に行うのではなく、時代に合わせた形で国民が心から奉祝の意を表せるような儀式のあり方をもう少し考えてもよかったのではないでしょうか。
昭和の即位の礼・大嘗祭は東京でなく京都で
今回の「即位の礼」を見るために来日したフランスの歴史研究者セバスチャン・ベルトラン氏(グランゼコール準備学級教授)が、儀式後、昭和天皇記念館を訪ねてくれました。日本の皇室、特に昭和天皇を研究している人です。「祝賀御列の儀」が延期となったことを残念がっていましたが、せめてパレードのコースだけでも、と歩いていたところ、偶然にも皇居から御所に戻られる両陛下の車列に遭遇し、お顔を拝見できたとたいへん喜んでいました。
ベルトラン氏は「即位礼」の内容もよくご存じで、「正殿の儀」の中継も興味深く見たとのことですが、フランスで中継を見ていた彼の兄は、動きも音もない時間が長かったことと「万歳三唱」について、ヨーロッパのセレモニーと較べて違和感を感じたとのことでした。
あるいは日本人でも、今回正殿に設置された「高御座(たかみくら)」や「御帳台(みちようだい)」、天皇の装束である「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」などの説明を聞かされても、“だから何だ”という人も多かったのではないでしょうか。これから話すように、まさにかつての私自身がそうでした。
「平成の大礼」当時、私は宮内庁に入庁直後で分からないことばかりでした。恥ずかしながら、そんな状態で儀式の手伝いをしていたのです。しかし、その後、『昭和天皇実録』の編修など研究業務を通じて、次第に理解できるようになりました。
こういうわけで、前近代については別にして、少なくとも近代以降の儀礼や制度については、詳しく調査してきましたので、今回行われた「即位の礼」、これから行われる「大嘗祭」をはじめとした「代替わりに関わるさまざまな儀礼や制度」について、少しでも身近に感じていただけるよう解説できたらと思います。
そのためにまず、私の宮内庁での仕事について紹介させてください。私は平成元年に宮内庁に入り、今年3月に退職しました。つまり、平成をまるまる宮内庁で過ごしたことになります。現在は、東京都立川市にある昭和天皇記念館の副館長を務めています。
宮内庁を就職先としてとくに意識していたわけではなかったのですが、平成元年の5月頃、東大大学院の指導教官だった伊藤隆先生から「宮内庁で『昭和天皇実録』を作るという話があるけど、君、行かないか」というお話があり、面接を受けて採用されました。それ以来、私は『昭和天皇実録』全61冊の完成、その後の公刊事業が今年の3月に完了するまで約30年間、「昭和天皇」に向き合うこととなり、退職後も、昭和天皇記念館に勤務し、引き続き「昭和天皇」に関わる仕事をしています。
「平成の大礼」のお手伝い
私が入庁した翌平成2年に、「即位礼」と「大嘗祭」がありました。この時、私の所属した書陵部の職員の大半は、装束班の「装束、衣紋方(えもんかた)係」に配属されました。「威儀の者」など出役者の装束着装を奉仕する係です。
儀式用の装束には大きく分けて、文官用の「縫腋袍(ほうえきのほう)」と武官用の「闕腋袍(けつてきのほう)」の2種類がありますが、いずれも自分1人で着ることはできません。奉仕者が前と後ろの2人必要で、これを「衣紋方」といいます。
ふだん、天皇陛下が宮中祭祀などで装束を着用される時は侍従が奉仕しますが、「大礼」では侍従も装束を着る側になりますし、宮内庁や内閣府の職員が一斉に装束を着て参列しますから、それでは手が足りないのです。今回の「令和の大礼」でも、陛下には衣紋道(装束の着付)の家元が奉仕し、皇族方は霞会館の衣紋道研究会の方が、宮内庁長官などは宮内庁京都事務所の方が、「即位礼正殿の儀」に太刀や弓矢を携えて参列する「庭上参役者」は書陵部が担当と聞いています。
平成の大嘗祭
「即位礼正殿の儀」の当日は朝早くから、「大嘗祭」は夜から翌日の未明にかけて挙行されるので、衣装を着けるだけではなく、明け方に終わって装束を脱ぐのを手伝って、それを片付けるまで奉仕をします。
「平成の大礼」では、陛下が伊勢神宮を参拝された際にも、装束を着る方が大勢同行しました。われわれ職員も陛下と同じ新幹線に乗って伊勢まで行ったのが、よい思い出となっています。しかし「平成の大礼」の時は、与えられた配役をこなすだけで精一杯で、儀式の意義や次第や歴史的変遷を理解するとか、そういう余裕は全くありませんでした。
皇室儀礼と皇室制度の調査も
『昭和天皇実録』には、昭和3年に行われた昭和天皇の「即位礼」と「大嘗祭」について詳細な記述があります。「大正大礼」についても、当時皇太子として参列された昭和天皇の目線からの叙述が記されています。
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source : 文藝春秋 2019年12月号