試金石としての太宰治 戦後史を歩きなおす
太宰治。本書に繰り返し現れる。試金石か、リトマス試験紙か。江藤淳と加藤典洋。2人の文芸批評家の個性が、太宰観の相異から、よく浮かび上がるのだ。
まず江藤。太宰にネガティヴだ。たとえば『斜陽』。敗戦直後の華族の没落を描く太宰の代表作を江藤は切り捨てる。「充分に悲劇的でもなければ充分に喜劇的でもない、要するに感傷的なのだ」。この評言に江藤らしさが際立つ。江藤は文学に一緒の定義を与えている。「ことばでいいあらわせないから、いわなければならない。これが文学者の論理である」。言い表せないものを言おうとしたらどこかが必ず空転する。そこに欠損や余剰や謎が必ず生じ、読者はそれを解決したくなって何かを考え始める。行動が喚起される。江藤の考える文学固有の力だ。ところが『斜陽』は戦後史の振り出しを描こうというのに、肝心要のそういう力が欠如している。江藤の読み方からすると言葉が弱い。感傷に沈むだけ。江藤は『斜陽』に限らず太宰の文学全体に停滞の匂いを感じていたのだろう。だから彼は極言する。「私はひとりの批評家としてこの作家の作品に対したことはない。将来もそうすることはないだろう」。
すると加藤の太宰観は? 変遷があるが、著者の描くそれを煎じ詰めればこうなるのではないか。太宰の自我は輪郭がぼやけている。自他の区別、彼岸と此岸の境目も破れている。太宰には「戦後になっても、戦地に散った若者たちの声が聞こえていた」と加藤は考える。戦争の重荷から解放されない。戦中と戦後を割り切れない。しかし、もう一方には心中未遂の末に相手の女性を見捨て、「ひとから、なんと言われたっていい」と開き直る唯我独尊の太宰も居る。何重もの相矛盾したありようを兼ねていたのだ。矛盾を抱擁して宥めて、破綻を1日でも長く回避しようと努めていたのだ。江藤が力の出てこぬ弱いセンチメンタリズムと観たものが、加藤においては、懐の深くて形なく底さえない大器に変ずる。

はて、著者は加藤と江藤のどちらに思い入れるか。加藤であろう。むろん、江藤の文学観は極めて正しい。しかし実際に江藤が、戦後日本文学から、言い表せないものを言い表そうとする優れた仕事として掬い上げるのは、江藤独特の物差しにはまるものばかりだ。江藤の好む主題は喪失。現人神たる荘厳な天皇の圧倒的な父なるイメージが喪失し、国民と共感共苦する人間天皇の親しげな母なるイメージに取って代わられ、それは国民一般の家庭像にも転写されて、親身な母のイメージも個人主義・自由主義・核家族化・一人暮らし化の進展の中で喪われてゆき、この日本から“父”も“母”も居なくなる。居なくした具体的な力は、天皇を人間にし、アメリカニズムで日本を染め上げた米国だ。この喪失史の尖鋭な自覚を促す文学が江藤にとっての良い文学。でも喪失したものをもはや取り戻せぬと実は諦めているのもまた江藤。それでは希望がない。
だったら加藤だ。太宰を梃子に、自他の区別をなくしてすべてを抱擁していく可能性に懸ける。たとえば、日本国憲法は他者の米国の押し付けだからけしからぬとか、それでも日本に有用だから結果オーライとか、そんな話はどうでもよい。他者の押し付けも自分が包摂して自他の区別をなくせば解決。そういう無限抱擁で明日を幸せに! それが著者の至った境地。そう読んだ。
戦後80年の混濁を吹き飛ばし、視界を晴らす書物である。
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