『失われた時を求めて』の主人公と同じではないか!
ミツバチたちを実験場で訓練する。2つの餌場が与えられる。バラの香りとレモンの香り。そして巣箱に片方の香りを吹き込んでみる。そのとき餌場からは香りを消しておく。つまり嗅覚に導かれることはない。ところがバラの香りを嗅げば、ミツバチは必ず、バラの香りがしているはずの餌場にわき目もふらずに飛んでゆく。レモンの方には行かない。つまりミツバチは香りでいつもの場所を思い出す。どうしても行きたくなる。今は匂いがしないのに前にはその匂いがしていたところへと。思い出の場所を訪ねたくなったよ。まるで人間の心理ではないか。プルーストの『失われた時を求めて』で主人公が紅茶に浸したマドレーヌの匂いから同じ匂いを嗅いだときの昔の時間と空間を想起するのと同じではないか。インド系オーストラリア人の生物学者、マンディヤム・スリニヴァサンらの2004年の研究だ。
あるいはこんな例。ミツバチは花の上で捕食者に遭遇することがある。たとえばカニグモ。カメレオンのように自らを花に似せる。花の色合いを精密に見分けられるように進化したミツバチの視力をもごまかし、待ち構える。ミツバチは不幸にも食べられてしまうこともある。が、しばしば逃げ出せる。さて、問題は逃げ出した後だ。本能にしたがって花から花へ。花に潜む捕食者が居れば逃げるか逃げ遅れるか。そんな単純な生活をミツバチが繰り返していると思ったら大間違い。ミツバチの仲間のマルハナバチを観察してみよう。カニグモから逃れた経験を持つマルハナバチは、カニグモが居たのと同種の花を末長く警戒するようになる。訪れたくてもすぐには行かない。深く観察するようになる。居なさそうでも、やっぱり止めたりする。怖いのだ。ミツバチたちは花粉採集の戦場でまるで人間の兵隊のように心の傷を持ち、行動に反映させる。著者の弟子、トム・イングスによる2008年の研究である。
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