黒川創「この星のソウル」

奈倉 有里 ロシア文学者
エンタメ 韓国・北朝鮮 読書

史料のなかを歩む

 主人公の中村直人は1961年に京都で生まれた。大学1年生のときに初めて韓国を訪れたのち、大学を卒業してライターをやっていた1994年には『モダン都市・ソウル=京城の文学地図』というムック本を企画して、取材のために再び4泊5日でソウルをまわった。

 本書はそんな中村が、2024年の現在から過去を振り返り、主に1895年の閔妃(ミンビ)暗殺(乙未事変)の前後の歴史について書き連ね、思索を重ねていく形式をとっている。

黒川創『この星のソウル』(新潮社)2420円(税込)

 ソウルへの心の旅とでもいうべきこの物語への導入は、田川律さんという1935年生まれの男性が、唐突に、ぼくのじいさんは朝鮮からの亡命者だったらしい、と口にしたことからはじまる。田川さんは頻繁に会うこともなく2023年に亡くなったが、中村は独自に調査を続け、閔妃暗殺と伊藤博文暗殺の両方の現場に居合わせた、新潟生まれの古澤幸吉という人物の孫にも話を聞く。そうして、ひとつの時代の出来事をいくつもの視点から語り直し、ややこしいと思われがちな時代の史実に複眼の厚みを与えていく。

 中村自身、かつて高校時代に歴史の教科書で「朝鮮問題」という小見出しのページに差しかかると、急にさっぱり意味がつかめなくなったという経験を持つ。なぜそんなにわからなくなったのか。教科書の記述になにが省かれていたから混乱したのか。この本はそれを明らかにしていこうとする試みでもある。

 随所に、中村がムック本で扱った作家や詩人たちの言葉が挟まれる。李箱(イサン)、中島敦、尹東柱(ユンドンジュ)、金鍾漢(キムジョンハン)、湯浅克衛。ソウルに滞在し、朝鮮語や日本語で書いた彼らが、それぞれに置かれた立場でなにを見聞きし、感じていたのかを探るように。

 1994年のソウルでガイド兼通訳をしてくれたのは、崔美加(チェミカ)さんという在日2.5世(父が在日1世、母が在日2世)の女性だ。崔さんはソウルを歩きながら、中島敦の『虎狩』と『山月記』のつながりの話をし、トルストイの『戦争と平和』に登場する「王は、歴史の奴隷である」という言葉を引く。

 トルストイがここでいわんとしていたのは――すべての人間の人生は、比較的自由な私的な生活と、歴史の流れが課した不自由な法則のふたつの側面を持っているが、人は社会的地位が高まるほど不自由になり、王に至ってはこの不自由な法則の奴隷なのだ、ということだ。

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source : 文藝春秋 2025年4月号

genre : エンタメ 韓国・北朝鮮 読書