世界文学に「書く」覚悟
いま、世界に向けて小説を書くとはどういうことなのか。ひとことでいうならこの小説はそういう話だ。「セネガルから来ました。作家になりたいと思っています」――読後に鮮やかに残る印象的な言葉は、同じくセネガル出身の現代の主人公の口からではなく、彼が運命にも近い憧れを抱き続けた、ある戦前の作家の言葉として登場する。なぜ、そうでなければいけなかったのか――
伝説の小説『人でなしの迷宮』を書いたT・C・エリマンという(実在の作家をモデルにした)架空の作家。その謎を追う形で物語は展開する。エリマンは『人でなしの迷宮』で「黒いランボー」と呼ばれフランスの文壇で一躍注目されるものの、剽窃を疑われ、「黒人のふりをしたフランス人作家ではないか」などさまざまな憶測が飛び交うなかで姿を消した。
主人公である若手作家のジェガーヌは、少年のころから断続的に惹かれ続けてきたエリマンの足跡を辿るうち、謎の鍵を握っていそうな大御所女性作家のシガ・Dに近づく。読者はジェガーヌとともに謎を解きながら、「植民地出身」の「黒人作家」に押しつけられてきたイメージやレッテルを知り、考えさせられる――とうの昔に世界文学のなかで対等に生きるポテンシャルを持ちながら、それが常に出自や肌の色の問題に還元され誤解と偏見にまみれることのもどかしさについて。
主人公も作者も、自分がエリマンの陥った状況をなぞってしまう危険を痛いほど自覚している。だからこそ作中で「フランス語圏アフリカ文学、今後注目の新人」などという賛辞をあらかじめ却下し、言われがちな批評をことごとく封じる。つまり作者はエリマンとジェガーヌを二重写しにしながら、この『人類の深奥に秘められた記憶』自体に対しても同様のレッテルが貼られぬよう徹底して批評の先回りをしているのだ。そのような予防線を周到に張ったうえで、物語はパリからアムステルダムへ、アルゼンチン、セネガルへと舞台を次々に変え、語り手を幾度も交替させ、呪術による殺人の疑惑、幻想の入り乱れる熱帯といった「エキゾチック」な挿話をあえて交えながら、19世紀末から現代に至るまでの植民地文化の巨大な影を描いていく。2度の大戦でとりわけ強くなるその影をコントラストとして浮かびあがるのは、「にもかかわらず書く」ことを選んだエリマン(第二次大戦前)、シガ・D(大戦後)、ジェガーヌ(現代)らの、世代を越えた覚悟だ。
創作・批評の界隈の魅力も醜悪さも純粋さもかけひきもとうに「わかって」いながら、それでも意を決して「書く」感じは、出自や帰属にかかわらず、意識的に作品を書くすべての人間に共通するものだ。個人的な話をするなら、私がかつて通っていたモスクワの文学大学の先生や同級生たちも、そうした世界文学への意気込みを抱いていたのを懐かしく思いだす。
作中、シガ・Dが「書物の祖国」を語る場面がある。これまで読んで好きになった本、嫌いになった本、書きたいと夢見ている本、内容を忘れてしまった本、読んだことにしている本、読まれる日を待つ本……それらは「わたしたちの奥深い生によって遠い昔から運命づけられた祖国」である、と彼女はいう。わたしたちは「本棚の王国」の市民なのだと。
痛快かつ意識的に現代文学のなかに躍りでてきたサールのおかげで、世界の文学はレッテルを越えて共に理解へと進む書物の祖国へ、一歩近づいたのだ。
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