純粋に不味いもの

土井 善晴 料理研究家
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 60年くらい前から、旬を大切にしなさいって、事あるごとに父の土井勝は話していた。春は芽のもの、夏は水のもの、秋は実のもの、冬は根のもの。旬とは、命動き出すところ、命養うところ、命守るところ、命のエネルギーを蓄えるところ、旬とは命のありかを食べること。それは、健康な命をつくる栄養のありか、万人を喜ばせるおいしさ、お天道様の秩序乱さぬ美しいもの。そうした自然と共にある暮らしの幸福がなくなり始めていることに気づいていたのだろう。

土井善晴氏 Ⓒ文藝春秋

 もうすぐ夏休みって思う7月、八百屋さんの店先に小さなトマトを見つけてねだった。子供ながらに青臭いおいしさを知っていた。梅雨明けが待ちどおしい。夏休み、梅雨が明けあぶらぜみがうるさいほど鳴いた。おじさんの土産はいつも西瓜、切ると赤く匂う。棘のある胡瓜に塩をまぶして板摺りする、皮が薄くて歯切れがやさしい。茄子紺に光る皮目を直火で灰に変わるまで焼く、生姜醤油が緑の焦げの風味を引き立てる。細かい切り込みが入った茄子の炒め煮を冷蔵庫に見つけて、学校から帰ってつまみぐい、おいしさに負けてひと鍋全部食べてしまった。おいしいものはいつも季節と共にあった。

 夏休みもそろそろ終わり、お盆の海にはクラゲが出ると聞いて寂しくなる。新もん、細くて小さなさつまいもの紅色がきれい、蒸してくれた。塩をつけて、バターもつけて、しっとりやさしい。ツクツクボウシが鳴いていた。

 運動会、気温は下がり晴天。お昼は家族と一緒。筵に広げた重箱に、栗ご飯、爪楊枝に刺した鶏団子、甘く焦がした卵焼き、鶏の照り焼き、ちくわの炒り煮、いんげんの胡麻よごし、お弁当のおかずはいつもこんな感じ、これがいちばん好き。お弁当を持参できない友達もうちに来て一緒に食べた。運動会は初もんの青みかん、すっぱいけどおいしい。競技が終わる夕方、半袖では寒かった。

 父はへら(鮒)釣りによく出かけた。母は、おむすびを握って片手で食べられる釣り弁当をこしらえた。釣り堀にはたまに連れて行ってくれた。前日に茹でうどんを、へらの餌箱で小さく切って蛹(粉)をまぶす。嬉しくて眠れなかった。お昼は釣り堀の小屋の食堂で玉子丼。具は玉ねぎと卵だけ。そのころ玉ねぎはにおいがきつかった。火の通しがあまくて、固さも臭さも際立っていた。父は平気な顔で食べていた。これが子供の私には食べられない。夜、へら釣りのウキが頭から離れない。

無条件にソースを

 昔は純粋に不味いものがあった。カレーライスも不味かった。だから大人は無条件にソースをかけた。それがかっこよく、家に帰って真似をしたら、父に「作った人がいるんだから、少し食べて足りなかったらかけなさい」と窘められた。こうして母親には、料理長のように家庭料理の味付けの責任が生まれた。それまで食卓には常に食塩、醤油、ウスターソース、味の素などがセットされ、適当にかけて食べていた。

 親戚が集まるとき、気が向くと、香川生まれの父はうどんを打った。夏は冷たくして、鰹節をいっぱい入れたうどんだしとねぎしょうが。母はさつまいも、ごぼう、蓮根、人参、インゲン豆と、野菜ばかりの天ぷら(精進揚)を揚げて、うどんと同じつゆで食べた。母はちらし寿司も作った。いつも決まった伊万里の色絵の皿に、酢蓮根、錦糸卵と生きた小海老を茹でて、彩に豆を散らして盛りつけた。お汁は庄内麩を戻した短冊に結び三つ葉、吸い口に春は木の芽、夏は青柚、冬は黄柚。晴れの日の料理もいつも同じ。

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source : 文藝春秋 2025年9月号

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