貸本屋とロバのパン屋

弘兼 憲史 漫画家
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 僕たち、いわゆる“団塊の世代”と呼ばれた戦後生まれは混乱が続く現代に比べれば、ワクワクの連続を味わった幸運な世代だったと思います。物心ついた頃には手塚治虫さんが『鉄腕アトム』を発表し、漫画表現の新しい地平を拓いた。映画は黒澤明監督が『七人の侍』以後、『天国と地獄』『赤ひげ』など素晴らしい作品を発表しました。スポーツでは野球が人気ナンバーワン。大下・川上時代の後、長嶋茂雄さんの登場に日本中が沸きました。相撲は柏戸・大鵬の“柏鵬時代”が始まり、当時の子供たちに人気なものといえば“巨人・大鵬・卵焼き”と称されていた時代でしたね。

弘兼憲史氏 Ⓒ文藝春秋

 そんな中、僕の子供時代は漫画に彩られていた気がします。夏休みは外で遊ばず、手塚漫画の模写を飽きずに何十ページも描きまくったり、貸本漫画をむさぼるように読んでいました。今では見ることのないレンタル式漫画ですが、だいたい1冊2泊3日で10円ちょっとでした。貸本にもいくつかレーベルがありまして、中でも人気だったのが日の丸文庫です。そこで健筆を振るわれていたのが、若き日のさいとう・たかを先生でした。先生の御作で夢中になったのは『台風五郎』シリーズ。私立探偵・五郎が暗黒街の悪者と渡り合い、次々と事件を解決していく物語に毎巻痺れていました! この本の中で“五郎やん似顔絵コンクール”という恒例イベントがありまして、漫画ファンはこぞって模写を投稿してました。ファンの1人である僕も投稿して、掲載のご褒美としてさいとう先生の肉筆原画(原稿を切り取った横一段のコマ)を送ってもらいました。

さいとう・たかを『台風五郎』第1巻(リイド社)

 その後、中学・高校時代は漫画への夢は胸にしまい、いわゆる“受験戦争”をかいくぐりました。早稲田大学に合格し、上京すると70年安保が激化。大学紛争の時代です。入試の時は機動隊が居並ぶ中、受験票を見せながら試験会場に入った記憶があります。漫画研究会に入った僕も学生風俗の象徴だった二冊の雑誌「朝日ジャーナル」と「少年マガジン」を持ち歩き、『巨人の星』と『あしたのジョー』をドキドキしながら読む日々でした。

 大学時代の思い出で忘れがたいものにはサッカーもあります。2年生時、体育の授業でサッカーを選択し、東伏見の練習場で先輩の釜本邦茂さんのキックを受けたことがあるんです。長身で精悍、のちにメキシコ五輪で7得点のエースストライカーを間近にしてドキドキしました! 当時の早稲田はサッカーが強く、1966年に実業団相手に戦った試合を国立競技場で見た帰り、定食屋のテレビでビートルズの公演中継を見たのも懐かしい思い出です。

 その後、卒業して会社へ就職した70年に日本万国博覧会が開催されます。入社当初に配属されたところが会場に近くて、何度か足を運びました。僕も成人していたけれど、あのレトロフューチャーな展示物、動く歩道やリニアモーターカー、電気自動車や携帯電話とかには“未来の夢”が具現化されてる気がしてワクワクしました。

 その3年後、会社を辞めて漫画家の道へ踏み出すのですが、この決断が人生においていちばん大きなワクワクだったのではないでしょうか。不安はあったけれど夢を実現する、一種のヒロイックな感覚がありました。同じ頃、脱サラが話題になっていて、起業や自己実現のために独立しようという機運があったんです。好奇心旺盛で冒険を好む“団塊の世代”の特徴のひとつなのかも知れません。

肥溜めとゴミ入れ

 これまで人生でワクワクを感じたものを振り返りましたが、「懐かしいなあ」と感じるものは別にあります。一つは肥溜め。汚いと言っちゃダメですよ、あれはリサイクル農業の一つだったんですから。僕も含めた悪ガキがよく肥溜めにハマって難儀してました。二つ目は路辺のゴミ入れ。80年代の漫画までは住宅街の一角の描写で描かれていた、パカッと蓋を開ける式の木箱です。あれは完全に姿を消しましたね。そして最後、それはロバのパン屋です。西日本で育った方々には馴染みがあると思いますが、売り歌の“ロバのおじさん、ちんからりん、ちんからりんろんやってくる”という曲には郷愁を覚えます。ホントにロバがパンの屋台を引いてくるんですよ。時を経てロバから馬車、自動車に変わりましたが、あの哀愁を帯びた物売りの感じは僕にとって現代から失われて懐かしく想う代表的なものです。

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source : 文藝春秋 2025年9月号

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