今思えば立ち読みを続けるガキは、万引きの次くらい書店にとって害悪だろうが、僕は全国にたくさんいただろう典型的なその一匹だった。なんせ小遣いが基本的にないのだからしょうがない。親は自分のお眼鏡にかなった本ならいくらでも買ってくれたが――これまた今思えば正しい教育方針だったろうが――お眼鏡にかなわない本は立ち読みするしかなかった。
その筆頭はもちろんマンガ。小学校時代に読んだマンガの95%は立ち読みだったろう。残り5%の自分が所持できたマンガは、たまに会う優しい祖母が買ってくれたものや、友達から借りたまま返さなかったものだが、文字通り擦り切れるほど何度も読み返した。一方の95%は、本屋のおじちゃん・おばちゃんの厳しい監視の目をかい潜っての超速読だから、僕の少年時代に読んだマンガの記憶の強弱は両極端になっている。僕がオタクの方向性を持ちながら、オタクになれなかった/ならなかった要因には、コンテンツを所有する喜びを十分に知り得なかった少年期の体験がある気がする。同世代の美術家を見ていてそう思うことがあるのだ。

そして思春期となれば当然エロ本ということになる。その誘惑はひたすら強いのに、ハードルはひたすら高かった。今度は本屋のおじちゃん・おばちゃんに加え、地域住民や同級生の目もかい潜らなければならなかったから。それで、遠方の本屋まで自転車を飛ばすことも辞さなくなってきたのが中学時代だ。しかし仕方ない面もある――当時は「GORO」で篠山紀信がバリバリ激写してたりする「日本における桃色グラビアのカンブリア爆発」みたいな時期なのだ。あと、この体験は美術家にとって大切な「映像の記憶力の訓練」になったと思われるが、恥ずかしいのでこの話はこれくらいで。
もっと文化的な話をしよう。僕は新潟市のかなり郊外に住んでいたが、市の中心部にある高校に自転車で通うことになった。高校のわりと近くに紀伊國屋書店があり、これが僕の美術家人生にかなり大きな恩恵となった。
「東京の窓」をチェック
高1でなんらかの文化的な作り手(今の言葉で言えばクリエイター)になる気持ちを固めた僕は、学校で昼寝ばかりしていた。教室で日がな一日ぼんやりと学ぶものが「1」だとしたら、放課後かなりの頻度で立ち寄る紀伊國屋書店の、1時間を超える立ち読みで学ぶものは「10」だった。
プチ文学青年みたいな自意識もあったから、図書館を利用することも安い文庫本を買うこともあったが、大型書店での立ち読みには、それらには代え難い魅力と利点があった。それは、変な本や糞みたいな本もたくさん置いてあることだった。図書館の本や文庫本というのは古典や準古典であり、芭蕉の「不易流行」で言うところの「不易」だが、変で糞な、読み捨て上等のミーハーな本は「流行」だった。その両者、玉石混交のぐちゃぐちゃな脳内シャッフルが、自分という作り手の卵にとって不可欠な栄養素だと直覚されていた。

そこには例えば、今で言うところの「サブカル」のようなコーナーがあった。「宝島」や「ビックリハウス」や「ガロ」の最新号が並び、書籍のページをめくれば「新人類」や「テクノ」や「ニューウェーブ」といったキーワードが蠢(うごめ)いていた。キラキラした未来志向と、「レトロ」や「アングラ」や「悪趣味」といった後ろ向きで汚いものが平気で混在していた。
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