猫田勝敏(ねこたかつとし)(1944―1983)は小学校3年からバレーボールを始め、名門崇徳高校から専売公社広島(現広島サンダーズ)に入社。20歳で東京五輪代表チームに選ばれて以降、メキシコ、ミュンヘン、モントリオールの各五輪に連続出場。東京では銅、メキシコでは銀、ミュンヘンでは金メダルを獲得し、「世界一のセッター」とうたわれた。専売公社の同僚だった禮子夫人が思い出を語る。
私が主人と結婚したのは昭和43(1968)年12月。メキシコ・オリンピックの直後でした。結婚当初から主人は、合宿、遠征、試合で、一年のうち自宅にいるのは、せいぜい2カ月くらい。人さまからはよく「おさみしいでしょう」といわれましたが、そんな生活に慣れていたのか、私も子どもたちもまったく不満は覚えませんでした。たまに主人が早く帰っていると、子どもが珍しがって、「お父さん、どうしたの、どっか具合でも悪いの?」と不思議そうにするくらいです。
松平康隆監督は、ミュンヘン・オリンピック金メダルをめざして、松平一家(全日本チーム)を作り、“8年計画”を打ち立てていました。その8年目がいよいよ来年に迫った46年9月28日のことです。
この日、専売広島チームは宮崎県日向で旭化成を相手に招待試合を行っていました。フェイントを拾おうと体をねじるようにしてレシーブに入った主人と、同じようにバックセンターの西本哲雄さんが飛び込んできた。そして、主人の右腕に西本さんが乗りかかるような形になってしまったのです。

2日後、広島日赤病院に入院。骨折で全治2カ月という診断を受けた主人は、ベッドに横たわりながら、
「この大切なときに2カ月もバレーがやれないなんて……。骨折が治ったら、もとどおりトスが上がるだろうか……」
と焦燥の色を隠せませんでした。私たちが病院に行っているときでも、時間を惜しむように、左手にバーベルを持って上げたり下げたりしている。骨折は複雑骨折とかで10月末、再手術が行われ、結局、完全に治ったのは翌年の5月でした。その間の主人の辛さは、私にも痛いほど伝わってきました。
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source : 文藝春秋 1989年9月号

