時代を切り拓く“異能”の人びとの物語を、新進気鋭のライターたちが描く連載ノンフィクション。今回の主人公は、バレーボール全日本女子監督・中田久美氏です。
自分を限界まで追い込み、選手の心をつかむ
「フチ子さん」――。私は女子バレー全日本監督の中田久美を密かにそう呼んでいる。人気キャラクター「コップのフチ子さん」はコップの縁に腰を下ろし、あるいはしがみつき、際に生きながらも泰然としている。そんな姿が中田の人生に似ていると思ったからだ。しかも中田は、外的要因で崖っぷちに追い込まれるのではなく、安閑(あんかん)の日々が訪れるとすぐさま崖を求めて突っ走る。
そんなフチ子さんからこの10年、「私」という主語が消えた。取材、あるいはプライベートで話しても、彼女の主語は、チームか選手。バレーやチーム、あるいは選手らの話題には言葉を無尽蔵に繋げるが、中田自身の話題は会話から消えた。
中田にそう告げたことがある。すると中田は「そうですかぁ?」と一瞬遠くを見やり、キリッとした視線を向けてきた。
「確かにここしばらく、自分のことなんて考えたことがなかったですね。そもそも今、自分に興味ないですもん」
中田が全日本監督に就任したのは2017年4月。監督就任挨拶で中田は高らかに宣言した。
「伝説のチームを作りたい。目標はもちろん、東京五輪での金メダル」
中田は現役時代から、高い目標を掲げないとそこには決して近づけないとよく口にしていた。だが、現実を見ればかなり厳しい。ロンドン五輪でこそ銅メダルを獲得したものの、4年後のリオ五輪は準々決勝で敗退。しかもエースだった木村沙織をはじめとする主力選手がこぞって引退。チームの司令塔となる突出したセッターも不在だった。
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source : 文藝春秋 2019年9月号