前回は、豊臣秀吉・秀長兄弟にとって激動であった天正5〜10(1577〜82)年のお話をしました。織田信長の命令で中国地方攻めに手をつけ、毛利の大軍と対峙中に本能寺の変が起き、主君信長が討たれてしまった6年間です。このとき転換点になった戦いがあります。三木合戦です。天正6(1578)年から足掛け3年、兄弟は今の神戸と姫路の中間ぐらいにある三木城を攻囲し、天正8(1580)年1月になって、ようやく落城させました。これで播磨(いまの兵庫県南西部)平定の目途がたち、中国攻めで優勢に転じました。実は、これが日本史を変えました。豊臣兄弟が毛利攻めで優位に立ち、焦った明智光秀は四国外交で失敗し、これに徳川家康を同盟軍とした織田の対武田戦がからんできて、あの本能寺の変が出来(しゅったい)したのです。
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source : 文藝春秋 2025年12月号 ポスト信長は土木・情報・スピードが決めた

