いまも夢をみている
ある作家や作品が巨匠や名作と見做されるのは、その解釈や批評が膨大に積み重なってきた結果だ。シェイクスピアにしても、観客や読者が数百年をかけて作品世界を豊かにしてきた。ビートルズについても事情は似通っている。数多の感想が語られ、レビューや本が書かれ、もう議論は出尽くしたと思ったころに「まだまだ語れるぞ」と、見えていなかった視野を一挙に広げてくれるものが時折現れる。それがこの本だ。

本書は36の断章形式でビートルズの多面性を捉える。最後のアルバムでポールが発した最後の言葉が女の子に向けたものであったという指摘から始まり、時計を巻き戻して、ジョンとポールが出会ったばかりのころの共作「アイ・コール・ユア・ネーム」をジョン生前最後のステージに重ねて物語を動かし、時系列順に曲やアルバムの新鮮な魅力を次々に引き出していく。
注目されるのは、ビートルズの中心に常に女性がいたということだ。女の子のために歌っただけでなく、ガール・グループを熱烈に愛し歌いかたを真似し、女子のようにクールでロックでありたい若者の願望を代弁し、共同制作者としてバンド仲間ではなく女性を選んだ。ジェンダー規範を侵犯する音楽だった。
さらに、ビートルズをビートルズたらしめたのは60年代の怒濤の活動と革新自体だけではなく、解散後の受容にあるという指摘も興味深い。CDの普及でビートルズが再び花開き、『リボルバー』がブリット・ポップを導いたと著者は主張する。その動きは世紀が変わっても止まず、ビートルズは単なるノスタルジーとして神格化されることなく、新しい解釈の余地、つまり「訪ねるべき別の場所と時代が、宇宙の彼方にあった」ことを証明しつづけているという。
だからこの本は、いまビートルズを聴き、語り、議論する人々の感想や意見が、新たなビートルズの夢を紡いでいくことを寿ぐものでもある。「ビートルズかストーンズか」、「ビートルズ最高のアルバムは?」、「ポールはなぜ憎まれるのか」など議論百出のテーマを扱うなかでも、本書の語りには常に読み手の自由な参加をうながす余白がある。
そうして読者は気づく――ビートルズは誰もが加わることのできる寛容な空間を、音楽の分野で切り拓いてくれたのだと。パンク歌手ヘンリー・ロリンズが、少年時代、ビートルズは怖い顔をした父親と違って親しみやすく「子ども向けのレコードをつくっているんだと思ってた」というエピソードが心に残る。
子どもから老人まで、性別も国籍も問わず、みんなが好きな歌を口ずさみながら入ってこられる、風の吹きぬける開けた場所。頁をめくりながらも、本を閉じたあとも、そんな夢の遍在を感じられるはずだ――ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア。
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