大正5(1916)年生まれの瑠璃子(るりこ)さんは、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)(1892―1927)の姪で、子供時代、頻繁に芥川家に遊びに行っていた。昭和12(1937)年、後に文学座の俳優となる龍之介の長男、比呂志(ひろし)と結婚している。比呂志は昭和56(1981)年に他界している。
僕は鼠になつて逃げるらあ。
ぢや、お父さんは猫になるから好い。
さうすりやこつちは熊になつちまふ。
熊になりや虎になつて追つかけるぞ。
何だ、虎なんぞ。ライオンになりや何でもないや。
ぢやお父さんは龍になつてライオンを食つてしまふ。
龍?(少し困つた顔をしてゐたが、突然)好いや、僕はスサノヲ尊になつて退治しちまふから。
(「比呂志との問答」)
芥川家の親子関係は、龍之介が残したこの文章のままでした。
私の母は龍之介の姉で、最後の数年を過ごした田端のお宅によくお邪魔していました。
龍之介といえば、顎に手を当てた眼光の鋭い写真を思い浮かべる方が多いでしょう。亡くなったとき7歳だった比呂志は、父親のことをかろうじて覚えていますが、次男の多加志(ビルマで戦死)と三男の也寸志(作曲家・故人)はほとんど記憶がない。だから、小さい頃はあの写真を随分怖がったと聞きます。
でも本当はそんな近寄りがたいわけではなく、優しい人柄でした。三兄弟が家の中で鬼ごっこなどをして騒いでもお構いなしでしたし、地方講演に出かければ、3日にあげずに手紙を寄こしました。

イタズラ好きでもありました。私がまだ小さい頃、龍之介にインクをかけられ、着ていた白い服が真っ赤に染まってしまったことがあります。私は驚いてワンワン泣きましたが、それはしばらくすると色が消える「魔法のインク」だったのです。こんな風にふざけることもしばしばでした。主人の話では、庭の草がガサガサと揺れるから、子供たちが「ヘビだっ」と脅(おび)えていたら、「まんまとだまされたな」と、龍之介が得意そうな顔をしていたこともあったそうです。
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source : 文藝春秋 2007年2月号

