「文藝春秋」巻頭随筆でおなじみの作家・阿川弘之(あがわひろゆき)(1920―2015)の一家は長男・尚之(なおゆき)氏、長女・佐和子(さわこ)氏の下に弟がふたり。尚之氏が恐る恐る明かす、父のばくちと酒とかんしゃくの日々――。
そもそも我が家族にまっとうな教育方針など、あっただろうか。阿川家の子育て・教育論について書いてほしいと編集部から頼まれ、真っ先に考えたのは、このことである。
とにかく子供が育つ環境としては劣悪であった。もの心ついて以来、父は賭けごとばかりしている。麻雀やらドボン(トランプばくちの一種)に誘われてでかけ、23日帰ってこない。あるいは家に相手を呼んで花札を引く。狭い公団住宅、子供が寝ている隣の部屋で、夜中までののしり合いながら、やっている。教育にいいわけがない。

すぐ下の弟は、中学に入るころ、「ええっ! 吉行のおじちゃんって作家だったの」と突然叫んだ。これには周囲が驚いて、「じゃあ何だと思っていたのか」と聞くと、「プロのばくち打ちかと思っていた」。毎日のように「ああ、疲れた、なんかいいことないか、金が儲かる話はないか」といって花札をしにくる吉行淳之介先生が、まともな人には到底見えなかったというのは、私も同感である。
それでも作家になりたての頃は、師とあおぐ志賀直哉先生とそのお仲間を相手に、品性ある麻雀をしていたらしい。ところが、それではもの足りなかったのか、別の文士仲間ともっと大きな賭けをするようになる。一度ひどく負け、「払えないどうしよう」と両親が小声で相談していたのを覚えている。生活はどうなるのだろう、父親は賭博罪で逮捕されるのではないかと、子供心に心配した。10代後半、感受性が強かったころ、「世の中には生活に困っている人がたくさんいるのに、ばくちばかりしていていいのか」と泣いていさめたことがある。平重盛みたいだ。
ばくちだけではない。酒は飲む。タバコは吸う。母にかんしゃくを起こす。子供にもかんしゃくを起こす。女遊びの方はつまびらかでないが、中学生の頃、赤坂の蕎麦屋に呼ばれて行ったら、父と食事をしていたのは水商売のうら若き女性であった。
兄と19、姉とは17歳違う遅くできた子供で、祖父母が甘やかした。長兄のもとに嫁いだ今年98歳になる伯母によれば、家にくる客は自分にみやげを持ってくるのが当然と思っていたそうだ。よほど親のしつけが悪かったらしく、わがままで自己中心の性格は、今に至るまで直らない。レストランで私の注文した皿が先に出てくるや、先に箸をつける。うまいとそのまま横取りし、まずいと「さあ、どんどん食べなさい」と言う。
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source : 文藝春秋 2007年2月号

