戦前から戦後へ――激動の時代に文学とジャーナリズムの新たな地平を切り拓いた文士たち。文藝春秋のカメラが撮った素顔が、AI技術によってカラーでよみがえる。
川端康成 1965年撮影

「これは鎌倉時代の木彫で、聖徳太子三歳の頃の立像である。川端氏のお気に入りのものの一つで、自ら“坊ちゃん”とあだ名をつけた」(「文藝春秋」1965年7月号)。1968年、日本人として初めてのノーベル文学賞を受賞。授賞理由に「日本人の心の精髄を優れた感受性をもって表現する、その物語の卓越さ」が挙げられた
自宅で、取材旅行先でありのままを撮り下ろす
「芥川龍之介賞」が創設されたのは1935年のこと。「文藝春秋」は創刊以来、多くの作家とともに歩んできた。講演会で全国を巡り、作家に演劇の舞台へ出てもらったこともある。その姿を捉えたひとりが、写真部の初代部長・樋口進だ。気さくな人柄で、作家とは仕事だけでなく冠婚葬祭を担うなど、公私を超えた関係にあった。
「作家には浮き沈みがあって、ピンのときもキリのときもある。(中略)お前はそういうことを離れて文士劇や文壇の陰の仕事、文士個人とのつき合いをしなくちゃいけないよ」(『文藝春秋の八十五年』)という二代目社長・佐佐木茂索の教えがあったからだろう。志は受け継がれ、カメラは文壇史の貴重な瞬間を捉え続けている。
*写真は早稲田大学理工学術院の石川博教授の協力を得て、同研究室による人工知能技術を用いてカラー化した。

戦後、日本ではリアリティあふれる写真が隆盛した。演出を極力避け、被写体をありのままに撮る写真表現のひとつだ。1950年代には写真家の土門拳が「リアリズム写真」を提唱し、注目された。文藝春秋の写真部は1953年に発足している。部長の樋口いわく「読者の皆様、写真はどんな写真でもよいのです。日常の生活が残ることに意義があるのではないでしょうか」(『輝ける文士たち』)
坂口安吾 1949年撮影

1949年、戦後初の文壇野球チームを結成。坂口はエッセイにこう記している。「一番うまいのは井上友一郎、それから河上徹太郎、石川達三もまあかなりうまい、ボクなんか非常にヘタなんだが、たゞ一所懸命敢闘する、全力でやる、敢闘精神だけは実に旺盛なんだ」(『坂口安吾全集 08』筑摩書房)。東京・八重洲広場にて
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