司馬遼太郎 座談の名手

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『竜馬がゆく』『坂の上の雲』など、時代を超えて読み継がれる作品を数多く残した司馬遼太郎(1923〜1996)。宮城谷昌光氏が感じた“司馬流”の文章の魅力とは。

 初めてお話をさせていただいたのは、私が新評社で雑誌の記者をしていた昭和43(1968)年頃のことでした。越後長岡藩家老・河井継之助を主人公にした、小説『峠』を作者が解説する原稿をご執筆いただけないかとご自宅に電話をかけると、司馬さんがお出になられたのです。自著を宣伝するのは苦手ということで、引き受けてはくださらなかったのですが、終始、腰の低い態度でお話をされていたのが印象的でした。作家とはかくあるべしと思ったものです。

司馬遼太郎 Ⓒ文藝春秋

 司馬さんは非常に筆まめで、「手紙は作品の総量を凌駕する」といわれたほどでしたが、私の最初の長編小説『王家の風日』を昭和63年に刊行した時もお葉書をいただきました。他の作家の方にも何人かお送りしましたが、お返事をくださったのは司馬さんだけでした。古代中国の殷王朝という時代を扱う作家があまりいなかった。それゆえであろうか、「まことに大きな志であると存じ上げました」と褒めてくださった。

 この司馬さんのお褒めの言葉には、平成になって報いることができました。平成2(1990)年に小説家としてデビューを果たし、翌年、『夏姫春秋』で直木賞を受けました。

宮城谷昌光氏 Ⓒ文藝春秋

 ようやくお会いできたのは、平成8年1月3日。文藝春秋の元の編集者から「司馬さんが名古屋にいらっしゃるのでお会いになりませんか。奥様もご一緒に」とお誘いがあったのです。当時、私は名古屋に住んでいたのです。司馬さんは『街道をゆく』の取材で近くに来られるとのことでした。私は名古屋城近くのホテルのロビーに行き、妻と2人でお目にかかりました。その夜の食事会と懇話会にも誘ってくださいました。

「座談の名手」と呼ばれた通り、とにかく話がお上手でした。学生時代に数学がまったくできなかったこと、高校受験に落ちてしまったことなど、失敗談でこちらを笑わせてくださる。私も疑問に思っていたことを聞くことができました。たとえば司馬さんは、もう小説はお書きにならないと宣言されていたのですが、80歳になったら書くのではないかと業界内で噂されていたのです。そこで、「ご真意はいかがでしょうか?」と訊いたら、きっぱりと「書きません」とおっしゃった(笑)。

 楽しい会が終わったのは夜12時近くでした。妻もみどり夫人と気が合ったようで、今後も司馬さんとはいいお付き合いができそうだと思っていたら、40日後、訃報が飛び込んできた。胸の中が空っぽになる……そんな感覚に襲われたのは人生であの時だけです。

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source : 文藝春秋 2025年1月号

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