親子のかたちは時代を映す。昭和59年から40年続いた長寿連載、一号限りの豪華リバイバル
ことし米寿を迎えたおふくろが施設に入ったのは7年前。認知症が進み妻の負担が大きくなり、苦渋の決断でした。施設へ向っているとは知らず「久しぶりのドライブね」と楽しそうなおふくろ。ハンドルを握りながら申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
入所時の問診で、名前はすらすら答えたのに、「お仕事はされてましたか?」の質問に固まってしまったのを見て、授業参観の親みたいにハラハラ。「水商売をやってました」と答えたときはほっとしました。

俺が子どもの頃、両親は西新宿で雀荘を経営していました。サラリーマンや大学生で賑わったのに、客足が遠のいたのはインベーダーゲームが流行した1979年頃。両親は店を「ホモスナック」に鞍替えしました。新宿二丁目とは違い、接客するのはノンケの夫婦、お客さんたちはホモという風変わりな店です。はじめ接客はオヤジ、調理はおふくろの分担でしたが、客に「うるさい、このブス!」と言われても「ブスでわるいか!」と返せるおふくろのノリのよさが人気で、カウンターに出るようになった。おおらかな性格で、俺が高校生の頃にソープランドのスタンプカードを持っているのを見つけたときも、𠮟らずに笑っていました。オヤジの留守中に愛人が雀荘を訪ねてきた事件でさえ、「私もバカだったよ。お茶まで出しちゃってんだから」と笑い話にできるほど。俺がお笑いの道に進んだのは、おふくろの血です。
高校を卒業して殿(ビートたけし)に弟子入りし、「玉袋筋太郎」と命名されると「いい芸名じゃない」とオヤジと一緒によろこんでくれた。ファン第1号です。
水道橋博士とコンビを組んで浅草キッドとしてテレビに出はじめた頃、おふくろが「たけしさんに一度お礼がしたい」と言いだしたことがありました。紀伊國屋ホールのお笑いライブに殿がくることを知らせると、和服の正装で現れた。おふくろは楽屋の通路に土下座して「本当にありがとうございます!」。正直まいった気持ちでしたが、おふくろは「これで親としての仕事をひとつ終えた」とさっぱりした顔。心からありがたいと思いました。
オヤジの自殺
スナックを畳んだのは50代の頃。祖父が亡くなり、スナックが入っていた祖父のビルを売却したのです。オヤジたちは茨城県土浦市のマンションを買い、俺の姉である娘夫婦を近所に呼び寄せ、孫と会うのが楽しみの毎日を送っていました。
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