親子のかたちは時代を映す。昭和59年から40年続いた長寿連載、一号限りの豪華リバイバル
母は現在、93歳。神戸の銀行員だった母は父とお見合い結婚をしたのですが、私が小学校1年の時に離婚。一人娘の私を養うために水商売に飛び込み、のちに地元でスナックを開業しました。「覚悟がすごい」と思えるのは、雇われママではなく自分で資金を用意して店を開いたこと。以降コロナ禍に見舞われる88歳まで、50年間も店を続けてきました。「コロナ禍が明けたらまた再開すればいいよ」と話していたものの、その間に認知症の症状が出てきてしまい、母は今も店を続けているつもりなのか「今日はゆう子が神戸に帰って来たから店を休むわね」と言う時も……。それでも母を診てくださる先生がびっくりするほど内臓が丈夫で、“奇跡の93歳”だそう。普段の会話は成立していて、ちょっとした時に「ゆう子、明日学校は休みでしょ?」と言ったり、銀行員時代に戻っている時もある。「自分の一番楽しかった頃や輝いていた時代に戻る。今、幸せな時間を過ごしているんですよ」と先生に言われ、少し安心して私も母に話を合わせています。

今でも記憶に残っているのは、私が幼稚園に上がる前のこと。十数人きょうだいの九女にあたる母は、お正月の親戚の集まりで水商売をしていることを咎められたことに傷つき、私の手を引いて、阪神電鉄の踏切で電車に飛び込もうとしたのです。「嫌だ! 嫌だ!」と必死に抵抗する私。やっとのことで思いとどまり、親戚の元に戻った母は、何事もなかったようにみんなと一緒にビールを飲んでいた。娘とすれば「え? あれはなんだったの?」と……。結構破天荒な女性なのです。
私を親戚に預けて働き、母子ふたりで暮らせたのは小学校5、6年のたった2年間だけ。「宝塚に行かせたい」との夢があったようで、当時には珍しく歯並びの矯正をしたり、真っ直ぐで綺麗な脚になるように、「お行儀が悪くても正座をしてはいけません」と言われ続けました。

母があるオーディションに応募したことがきっかけで、東京の事務所にスカウトされますが、ふたり暮らしが始まったばかりでの私の上京に、母は当初大反対でした。でも事務所の説得に折れてくれ、中1の夏休みに単身東京へ。その後は店が休みの日に毎週会いに来てくれました。でも、いわゆるステージママではなく、私の仕事には一切口を出さない。若い頃は水着姿など露出の多い仕事もありましたが、何ひとつ文句は言いませんでした。
芸能界に入った当初の私の目標は、「母のために家を建てること」。これまでに二つ家を建て、その目標は叶いましたが、母は今や周囲には、「私が店を50年間頑張って来て建てた家なの」と言っています(笑)。

驚いたのは、私が57歳で結婚した時のこと。それまで私に関する取材は受けないよう徹底していたのですが、ある週刊誌が店に突撃取材に来て、「おめでたいことだから」とついついお喋りしてしまった。そこまでは良かったのですが、記事に「母親(87)」と書かれているのを見た母は「私は85歳だ!」と、編集部にクレーム電話を入れたとか。これにはさすがにびっくりです(笑)。
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