私は、徳川幕府最後の将軍・慶喜の玄孫です。慶喜の家系は母の実家で、祖母は幕末の会津藩主・松平容保(かたもり)の孫でした。クラシック音楽とゴルフが好きな専業主婦だった私は今、徳川慶喜家の最後の当主として、家じまい、墓じまいという難題に向き合っています。
慶喜は大政奉還のあと謹慎し、御三卿のひとつ田安家から6歳の亀之助(のちの家達〔いえさと〕)様を養子に迎え、第16代当主としました。これが現在に繋がる徳川宗家です。のちに10男11女をもうける慶喜ですが、当時はまだ子どもがいなかったのです。1902(明治35)年になって、慶喜はご宗家と同じ公爵に叙せられ、新しく徳川慶喜家を興すことを明治天皇から許されました。当主は慶喜のあと、七男の慶久、孫の慶光、ひ孫の慶朝(よしとも)と受け継がれました。慶朝が2017(平成29)年に亡くなる際の遺言で、親族で最も親しかった姪の私を5代目当主に指名したのです。その遺産には、祖先の法要や寺院とのやりとりを取りまとめる祭祀継承権も含まれていました。

徳川姓ではない、しかも女性の私が家督を継ぐことに、親族の間には強い反発がありました。御三家、御三卿を含めて12ある徳川家と、親藩松平家も含めた三つ葉葵を家紋とする23家の子孫が、「葵交会(きこうかい)」という交流グループを作っています。旧華族の「霞会館」という親睦団体もあります。どちらもメンバーシップ制で、基本的に男性であることが条件なので、私は入れません。「柳営会」という幕臣の子孫が集う会もあり、他の徳川家の方々は交流を続けています。
私がアンクルと呼んで慕っていた慶朝叔父は、そうした付き合いを煩わしく思っていたのでご縁が遠くなっていたことも、スムーズな相続に影響したかもしれません。
私が直面した問題は、お墓の祭祀継承と、膨大な史料の寄贈先を見つけることです。祭祀の継承はいわゆる相続と違い、法律では解決できません。弁護士と相談しながら進めましたが、最も苦労したのは親族の合意を得ることで、8年もかかりました。ようやく2025年10月末になって合意書に捺印ができ、私は祭祀継承者となりました。
慶喜家の墓所は谷中霊園(台東区)にあって、東京都の史跡指定を受けています。土地は寛永寺のもので、墓石と埋葬されているお骨が慶喜家の所有です。徳川家の墓所といえば寛永寺と増上寺が有名ですが、慶喜は神道だったため、寺の墓には入れませんでした。歴代15人の将軍の中で、久能山と日光の東照宮に祀られている家康公と慶喜だけが神道なのです。
代々の当主が墓所を管理してきたのですが、300坪もあり、維持に大変なお金と労力がかかります。いまも塀の修繕に迫られていますが、費用は約3000万円と言われ、個人ではとても負担できません。秘宝や埋蔵金などないのですから、きちんと管理してくださる引き渡し先を決めなければなりません。こんな苦労は終わりにすべきと考えて「絶家」を決めたのは、慶朝叔父でした。しかし果たせないまま亡くなったため、私が遺志を継いだのです。
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