多くの人が中国語を学ぶのは、就活やビジネスなどで役に立つから。語学は実利につながるということだ。そのため、語学書の内容も薄っぺらいポジティブさに満ちていて、情報伝達に絞ったものが多い。しかし、そこでは言語は実際にそれを使っている人々の生活と文化から生み出されるという事実が忘れられている。同時に、コミュニケーションは客観的に存在する情報を一方的に伝える行為だと前提している。多くの語学書もそのような前提から作られている。語学の現場は「功利的な目的に基づく情報の伝達」というコミュニケーション像に支配されることになる。
しかし、現実における日常的なコミュニケーションは他者の内面と行動を理解し、彼らの生ともつれ合うことで、自らも変化していく過程であるはずだ。家族と話すのは生活の支援をしてもらうためではないし、自らの欲求を効率的に伝えるためでもない。友だちと話すのはいざという時に助けてもらうための保険ではないし、情報の交換のためでもない。功利的な目的が支配的になった途端、それはもはや家族や友人とは言えなくなる。心の「闇」に潜む悩みも相談できない家族や友人はもはや家族や友人とはいえないのだ。コミュニケーションはむしろ私たちの生の豊かさと安心自体の条件に他ならない。
2024年6月に『闇の中国語入門』(ちくま新書)という本を上梓した。「心の闇」と「社会の闇」の2部構成で、現在中国に蔓延(はびこ)る「闇」のあり方を、45の言葉の解説を通して論じる本である。しかし、この本は自らを偽装している「闇」を持つ本でもある。

本書は「語学」書に偽装することで、語学が照らし出す、右のようなより一般的に受け入れられている不健全なコミュニケーション像を持つ読者層にリーチしながら「闇」のコミュニケーションの重要性を示そうとしている。
次に、本書はよくある中国をネガティブに描く「嫌中本」に形式的に偽装している。
現代中国は日本および世界でもっとも「闇」を抱えた国の一つだと思われているふしがある。政治的にも、社会的にも強い抑圧と不自由さを抱えている。そのため、「嫌中本」とまでいかなくとも中国の「闇」を扱う書籍が圧倒的に多い。しかし、中国はこんなにも不自由な国である(それに対して私たちは素晴らしい)、というメッセージのみを伝えても、すでに飽和した嫌中本市場で何一つ新しい見解を生み出せず、中国に対するステレオタイプと自分に対する偽りの安心感を補強するだけである。
それに対して、私がこの30年間の中国文化を研究する中で見出したのは、むしろその不自由さの中でも絶えず自由を見出そうともがく中国人の姿である。中国のネガティブな部分を描いて悦に入るのではなく、社会の闇とそれによって生み出される心の闇に対して、中国人の若い世代がいかにもがき苦しみながら言葉を通してそれと向き合い、闘ってきたかを示そうとした。すべての自由が剥奪されてなお残る自由の手段は言葉である。そこには圧倒的な不自由さと向き合ってきたゆえに鍛えられた自由を志向する最良の知恵が蓄積されている。
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