チンチン電車と二・二六事件

鈴木 實 防衛医科大学校名誉教授
ニュース 社会 政治 歴史

 今年で二・二六事件が起きてから90年が経つ。事件後、私が奇異に感じたのは、ほんの数時間のことだが、事件と東京のチンチン電車(市電)の運行が同時進行していたことである。

 1936(昭和11)年2月26日早暁、帝国陸軍の皇道派青年将校が東京で決起し、体制変更を迫るクーデタを起こした。反乱軍は午前4時半に兵舎を出発し、政府要人の公邸や私邸、陸軍省や警視庁、新聞社などを襲撃した。午前5時から7時頃までの間に赤坂表町(地名は当時、以下同)で高橋是清蔵相、四谷仲町で斎藤実内相、荻窪で渡辺錠太郎教育総監が殺害された。麹町三番町の官舎に住んでいた鈴木貫太郎侍従長は重傷を負い、永田町の首相官邸で襲撃された岡田啓介首相は間一髪で脱出した。

 その日、東京で雪が降っていたことはよく知られているが、朝7時半頃、小学1年生だった私が登校のために琴平町(現・虎ノ門)の家を出たときには、道路に積もった雪はすでに溶けはじめ、泥んこの状態になっていた。文部省の真ん前の「虎ノ門」停留所から「札ノ辻」行きの市電に乗り、8時頃に「三田三丁目」で下車、徒歩で慶應義塾幼稚舎に登校した。

 午前10時過ぎだったと記憶しているが、1時間目の授業が終わると、クラスの生徒全員が雨天体操場(現在の屋内体育館)に集められ、担任の先生から「君たちのお家はどこですか」と訊かれた。皆がばらばらに自分の住所を言うなか、私が「虎ノ門です」と答えると、先生は振り向いて、「鈴木君、きみ注意して帰りたまえ」とおっしゃった。私には何のことかわからなかったが、全員直ちに下校となり、三田三丁目停留所にゆっくり歩いていった。しかし、市電は走っていなかった。自宅の琴平町までは徒歩でも1時間足らずの距離だから、私は歩くことにした。

 自宅前まで来て驚いた。父が経営していた自宅隣の病院の玄関前には、土嚢が物々しく積み上げられ、日章旗が突き刺されていたからだ。その脇には赤坂見附の方角に銃口が向けられた重機関銃が設置されていた。病院に入ると、待合室のソファに陸軍少佐が土足のまま座り、私の母はおむすびやお茶をすすめていた。病院は反乱軍を鎮圧するための拠点として接収されていた。その後、私たち家族は近所の住民や父の病院に入院していた患者たちとともに1キロほど離れた西久保櫻川町(現・虎ノ門)の西櫻(さいおう)小学校に強制的に避難させられた。反乱軍は首相官邸、山王ホテル、国会議事堂などに立て籠っていた。

山王ホテルの反乱部隊 Ⓒ時事通信社

 反乱軍決起の翌日には、東京に戒厳令が出され、昭和天皇が鎮圧を命じたため、反乱は3日で終結した。

 90年前に私が遭遇したこの事件を振り返ってみて驚かされるのは、反乱軍が本格的に行動を開始してから3時間ほどが経ったときでも、反乱軍が襲撃した政府要人の住まいのすぐ近くを市電が悠々と走り、それに乗って私が三田三丁目が最寄り駅の小学校まで平然と辿り着いていたことである。私が毎朝通学に使っていた市電は「飯田橋」発「札ノ辻」行の33系統(当時)で、飯田橋から外堀沿いに進んで、四谷見附、赤坂見附、溜池を通り、虎ノ門から桜田通りに入って、神谷町、飯倉一丁目、赤羽橋を通って、札ノ辻に至る路線だった。鈴木侍従長が住んでいた麹町三番町は、33系統の「市ヶ谷見附」停留所の近く、斎藤内相の私邸があった四谷仲町は「四谷見附」の近く、高橋蔵相公邸があった赤坂表町、岡田首相公邸があった永田町は「赤坂見附」の近くにあった。

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source : 文藝春秋 2026年2月号

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