西園寺公望(さいおんじきんもち)(1849―1940)は、徳大寺家に生まれ西園寺家に養子に行く。ともに公家の名門。フランスに留学し自由思想の影響を受け、中江兆民らと『東洋自由新聞』をつくり社長になるが、明治天皇の命令で辞任。のち2度にわたり内閣を組織する。大正末期からはただ一人の「元老」として、後継内閣首班を天皇に推薦する任務を負う。国際協調外交、西欧的立憲君主制、政党政治を理想とするが、軍部の横暴を抑えることはできなかった。
西園寺公一(きんかず)氏は孫。戦後、日本と中国の橋渡し役となった。
祖父西園寺公望のことで思い出すのは、二・二六事件のときのことです。そのころ私は、神田・駿河台の祖父の家に住んでいました。祖父は静岡の興津(おきつ)にあった「坐漁荘(ざぎょそう)」という別荘にいて、内閣更迭など特別な用事があるときだけ東京に出てきていた。あの冬は、東京にはめずらしい大雪の冬でした。事件の日も積雪が深かった。
この日の早朝、私は新聞社からの電話で起こされ、兵隊たちが多くの重臣を襲撃したことを知らされました。しかし、情報が混乱しており、岡田啓介首相、高橋是清蔵相、斎藤實内大臣などが襲われて、駄目らしいことはわかったのですが、祖父の安否については曖昧でした。
私は、興津にいる祖父のことが心配だったので、すぐ祖父の政治秘書で男爵の原田熊雄さんに連絡を取ろうと思いましたが、電話が通じない。それに、原田さんが祖父と一緒に狙われているという情報もあったから、どうなったか心配だった。

翌27日になっても、どうしても連絡が取れないので、私は原田さんの家のある平河町に出かけていくことにしました。ゴム長靴をはいて、深い雪を踏み赤坂見附の坂を上がって行くと、坂の中腹の閑院宮邸の前あたりに、機関銃が据えてあった。シーンとした静けさの中に、剣つき鉄砲を持った兵隊がたむろしており、異様な風景でした。
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source : 文藝春秋 1989年9月号

