昭和天皇 「あっ、そう」はいちいち訳しませんでした

眞崎 秀樹 元外交官
ニュース 皇室

 海外メディアではいまだに軍服姿の写真が紹介されているが、昭和天皇(1901―1989)自身にとって、昭和21(1946)年から29年にかけて平服で日本各地を巡幸し、国民から熱烈な歓迎を受けた以後の方が、思い出深い日々だったに違いない。戦後は象徴天皇として、外国の賓客をもてなすことが重要な仕事になった。昭和64年1月7日崩御。87歳だった。眞崎秀樹(まさきひでき)さんは元外交官で、25年にわたり天皇の通訳を務めた。

 陛下は、多くの外国人の方とお会いになられます。おそらく総理大臣よりも多くの方とお会いになっていますでしょう。昭和天皇の時代、私を含めて英語の通訳は3人いましたが、私だけでも少なくとも月に2回は通訳を務めさせていただきました。

 昭和34年の秋以来、お務めしましたが、いつも感心させられたことは、陛下は相手に対し、実に適切な言葉をお選びになっていたということです。

 最初の通訳は東京で開催されたガット(関税と貿易に関する一般協定)総会の時でしたが、ブラジルの代表に対して、「ブラジルにいる日本人が、ブラジル人の協力で相当に尊敬される地位につくことができました。ありがたく思います」といった内容のことを言われています。

昭和天皇 ©JMPA

 昭和61年に東京でサミットが開かれた時も、フランスのジスカールデスタン大統領に「あなたの国で最初にサミットが始まり、今日まで続いてきて非常に嬉しい」。西ドイツのシュミット首相には、「前回のサミットはあなたの国で開かれ、成功してたいへん良かった」とおっしゃられています。

 あらかじめ外務省の方から、お会いになる方のお国と日本との関係はどうであるのか、過去どうであったのか、借款をしているのかといったことをこと細かく書いたものを陛下に提出しています。陛下はそれを注意深く読んでおられる。読んだ上で、実際にお会いした時に何と言われるのかは、陛下のご自由でした。プレス発表されるお言葉は別ですが、単なる面会での挨拶の場合は、前もって原稿を作っておくといったことはなく、いつも陛下がご自分でお考えになったお言葉だったのです。

 もちろん陛下は、これ以上のことを言ってはいけないといった枠をご自分の中に作られておられたとは思います。お会いになる外国のお客様も、戦後の天皇は政治にはお関わりにならないということをご存知でしたから、何か政治的なことで頼みごとをするとかいったこともありませんでした。

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source : 文藝春秋 2000年1月号

genre : ニュース 皇室