拝謁は600回以上、時間にして330時間超。初代宮内庁長官が書き残した「天子様」の心の中
戦前・戦中・戦後と62年有余にわたり天皇の地位にあった昭和天皇。旧憲法下では大日本帝国を統治する国家元首、そして日本軍の総司令官・大元帥でもあり、戦後は新憲法(日本国憲法)の第一条に定められた日本国および日本国民統合の象徴である。昭和時代の日本を語る上で最重要人物といえるのだが、これまでは史料の乏しさもあってさまざまに語られ、相反する昭和天皇像が並立していたように思われる。
そうした状況を一変させる史料が公刊された。初代宮内庁長官田島道治の記録『昭和天皇拝謁記』(岩波書店、全7巻)である。核となるのは田島長官が昭和天皇に面会(拝謁)した際の問答を詳細に記録した「拝謁記」で、この「拝謁記」という名称は田島自身の記述に基づく。
長官となって約半年後の1949(昭和24)年2月3日から、最後の拝謁となる1953(昭和28)年12月16日まで4年10カ月余り、回数にして600回以上、時間にして330時間を超える拝謁の内容があたかも対談のテープ起こしのようにほとんどしゃべったままの言葉で、そして田島の心の声も随所に書かれている。
昭和天皇の発言の記録でこれだけ膨大な史料が出てきたのは初めてで、その実像を知る上で決定版といえる。
田島道治は1885(明治18)年に愛知県で生まれ、大学時代に新渡戸稲造の薫陶を受ける。前田多門、鶴見祐輔と共に新渡戸門下の三羽烏とも評された。卒業後は地元の愛知銀行に入行、1927(昭和2)年の金融恐慌の後は、破綻した銀行の債務処理のため新設された昭和銀行でその手腕を発揮する。1948(昭和23)年6月、同じく新渡戸門下だった当時首相の芦田均の要請を受け民間人として初めて宮内府長官に就任、1年後に宮内府が宮内庁に改組された際に初代長官として留任し、1953(昭和28)年12月まで在任した。
「拝謁記」の存在自体は「田島メモ」として以前から知られていたが、田島家以外でそれを目にした者はいなかった。『昭和天皇拝謁記』第1巻総説にある通り、2018(平成30)年にNHKが番組制作の過程で田島家から提供を受け、その翌年、テレビニュースやNHKスペシャルなどで内容の一部を伝えたわけだが、その取材を担当したのが私だ。宮中研究の第一人者、志學館大学教授の茶谷誠一先生から田島史料の重要性を聞かされていた私は田島家に伺った際、目の前に置かれた手帳とノートに気が動転した。取材の過程でご遺族から史料を提供していただくことは何度もあるのだが、これほどの第一級史料の山に出会うことは一生に一度の経験だろう。正直なところ「どうしよう」と思った。だがご遺族に信頼していただいた以上それに応える責任があると考え、番組放送後も岩波書店での刊行、今後の公的機関での史料公開も含めて協力している。ここでは田島家以外で初めて「拝謁記」に接した私が、「拝謁記」を通して取材実感として浮かび上がってきた、昭和天皇の人物像を描いていくこととする。なお引用にあたり、読みやすさを考慮して原文を適宜書き改めた。〔 〕内は注記である。
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source : 文藝春秋 2023年8月号